1mmだって忘れない
aiko「花火」リリースから22年経ったけど
まだまだ完結しないよ
aiko変換
今はもうこれを言う人はほとんどいないけど、私が話の中で
「◎◎◎といえばaikoの・・」
「そんな時はaiko聴いたらいいよ」
「aikoの曲でいうと〇〇かな」
とかすぐ言うので(業務の話でも、ね)みんなから
出た aiko変換!!!!
とよく笑われていました。
餅さんならaikoって言うと思った~!、とか。
「たしか、Slackでよくaikoの話をしてる人ですよね」
と言われて
「はいそうです、aikoのことしか頭にありません!」
と答えることもありました。
2年前に会社で「自分の好きなものを熱く語って
(架空の)弊社でできる施策をプレゼンする」
というコンテストに出てしまったけど、
いつもaiko変換をしていたことで、社員さんから
aikoでコンテストに出たら?と
何気なく言われたのでした。
コンテストの決勝に進む時にまず念を押されたのは
もし餅さんがグランプリをとっても、
aikoは会社に来ませんからね
ということでした。
そこをなんとか・・って顔をしながら了承して
渋谷まで行ってプレゼンして、社長から
餅さんはaikoが大好きだもんね~
と言われました。
先月、ラジオでメールを読んでもらう時に
全く同じコメントをもらいましたが
家族も呆れるほど、aikoちゃんが大好きです。
花火は手持ち派
私はほとんど花火大会というものに行ったことがなくて
結婚前、母に浴衣を着せてもらって観に行ったけど
もうそれがどこのなんていう花火大会だったか
全く覚えていません。
夫に聞いても記憶にないと思います。
私はどちらかというと、
手持ち花火を「買うところから」楽しむ派です。
家族5人全員で食事をした回数が1ケタの我が家ですが
お盆には1泊で千葉方面に旅行に行っていました。
ほとんど姉は来なかったけど、
同じく焼鳥屋をしていた叔母の家族と一緒に行って
昼は海、夜は手持ち花火で盛り上がったものです。
家族で一緒に何かをすることは
かなりの大イベントだったので
おもちゃ屋さんで花火を買う時は
とんでもなくワクワクしていました。
中に入っているいろんな種類の花火を全部見て
どの花火から火をつけてもらおうかな、
って考えることが幸せでした。
だから終わるとすごい悲しいんですよね。
自分が家族を持ってからは、蚊に刺されないよう
子どもたちをお風呂に入れた後に
家の前で花火をしていました。
花火をひゅっと振り回した時の残像が面白くて
丸とかハートを描いたりしたけど、
もう花火を買うこともなくなりました。
今は、コロナでいろんなことが出来なくなりました。
花火が上がっても、
オンラインで楽しむような世の中です。
去年の年末、私は念のためのPCR検査待ち状態になって
家の一番奥の部屋で隔離され、
ただテレビを観るだけでお正月準備もできませんでした。
1月1日の0時になる時に
どこかから花火が上がっていて、
窓を開けると、庭の梅の木の枝に
花が咲いてるように見えたのが嬉しかったです。
真冬だけど、その様子を見ながら歌いましたよ
夏の星座にぶら下がって~♫ って。
撮影に夢中になっていたら、
新年恒例のaikoちゃんのあけおめCMが流れて
ひとりで大慌てでした。
あけおめCMは、テレビでは
1月1日になってすぐの1回きりの放送で
寝ないで待って、観終わったあとは
SNSでみんなのあけおめCMの感想を眺めて
いつも夜更かしになります。
今年は元旦から仕事だったけど
あけおめCMは絶対リアルタイムで観たい。
あの元日からもう8ヶ月?7ヶ月?
今年って、めちゃくちゃ速くないですか。
22年
1999年8月4日は、aikoちゃんの「花火」が
リリースされた日です。懐かしい。
この曲でaikoという歌手を知った人が沢山いるはず。
私もその一人です。
聴いたのは、9月~10月になる頃で、真夜中です。
リリースからちょうど1週間後に娘が生まれました。
夜中に泣いて起きた娘の世話をしていた時、
真っ暗な部屋の中で
音量3とか4くらいでついてたテレビから
夏の星座にぶら下がって 上から花火を見下ろして
このフレーズが聴こえてきて
瞬間、ハッとして画面を観て
このメロディー何!?ってなりました。
声がめちゃくちゃ可愛いかった。
一週間後の同じ時間、またテレビをつけたら
それが「aiko」という女の子で
「花火」という曲なのだということを知りました。
そこから、今に至ります。
aikoちゃんの曲は、
今までに聴いたことのない旋律が魅力的です。
無視できない歌声なので、きっとあの日じゃなくても
私はファンになっていたと思うけど。
福岡には友達がいなくて、里帰りもしなかったし
今でいうところの「ワンオペ育児」がしんどかった頃
aikoちゃんの歌声は、私にとって救いでした。
ちょうど目の前にCDレンタルのお店があったので
すぐに「aiko」のコーナーを探して、
CDを借りれるだけ借りてきました。
シングルが発売されたらレンタルして、
その後、アルバム「夏服」が発売となる時は
「アルバムは2週間待たないとレンタルできないから」
と言って夫に懇願して買ってもらいました。
それが初めて買ったaikoのCDですね。
今では、自分で働いたお金で
CDを買えるようになりました。
これが、どれだけ嬉しいことか。
22、っていい数字ですよね。
aikoちゃんのお誕生日が11月22日やからね。
いつもaiko
歌詞は恋愛の内容がほとんどで
最初は「そういうことあるよね~」
ってくらいで聴いてたけど
アルバム「秋 そばにいるよ」収録の
「マント」で初めて、
悩んでいた自分に直球で歌詞が刺さってきました。
場面も忘れません。
今の家に越してくる前のすごく小さい平屋で、
家具の配置も家の明るさも覚えています。
産後で気分が落ち込んでいました。
息子が先天性代謝異常の検査に引っかかって
私の不摂生のせいだと責められたことで
なんだか外に出たくなくなったし、
外から誰かが来るのも嫌だった頃です。
よくないことばかり考えている自分がすごく嫌で。
そんな時にaikoちゃんが「マント」で
すべて 放り投げてしまえ グッバイ
って歌ってくれたんですよね。
子どもたちの目の前で、大声で泣きました。
それから、aikoちゃんの歌詞には
自分の人生に当てはめる言葉が沢山あるなあと思って
本当は恋愛の歌詞だけど、変換して受け止めて
その時の自分に必ずグッとくるフレーズがあるから
そこを楽しんで、大切に聴いています。
SNSを見ていても、色んな人が
自分のこと見られてるみたい
同じこと考えてた
まさにそういう出来事があった!
とつぶやいているのを見かけます。
私だけじゃないんだ、やっぱりaikoちゃんの歌詞は
みんなの中にあるんだなあ、って思うと
とても嬉しいし心強いです。
直接的な何かは特に無いけど、なんとなく
いつも一緒にいてくれるような存在だから
いつも心の中にいるんです。
だからなんでもかんでも、
話の途中でaiko変換しちゃうんだろうなあ。
こんな風に、22年追いかけてきました。
「花火」を初めて聴いた時は
新生児サイズのおむつだった娘が
来週、22歳になります。
そんなに長い年月が経ったと思えないけど、
自分を見るとめっちゃ老けたなあと思って、
22年を受け入れられるかな(笑)
区切りの一曲
サビの「夏の星座にぶら下がって」
「上から花火を見下ろして」は
それまでそういう表現をする人がいなかったし
みんなの心に残る歌詞ですよね。
私も未だに、ライブに行く時なんかは
「夏の星座にぶら下がってくるんで!」とか
「ちょっとテトラポットのぼってくる」
みたいなことをよく言います。
「花火」は、
忙しくて友達と花火大会に行かれない悔しさから
「夏の星座にぶら下がって花火を見下ろせたら」
って思って生まれた曲のようです。
もし、aikoちゃんがいつも通り花火大会に行けてたら
この曲は生まれてなかったかもしれないですよね。
そしたら、今の私はいなかったかもしれません。
他のみんなもです。
他の曲で出逢ってたかもしれないんだけど
それだけ、この曲は大切な曲です。
他にも沢山好きな曲があって、
それぞれ、想い入れも深かったりするけど
この時期になると、
娘が〇歳になるなあ・・
あー、aikoの「花火」から〇年かあ~
ってしみじみする、私の
「区切りの曲」みたいな存在です。
その娘と、今年のライブを観に行けたことは
かなり大きな思い出になりました。
来年のこの時期になったら
私の視界の隅で手拍子をしたり
笑ったりしている娘も浮かぶんだろうな。
お守り
「花火」の歌詞はサビに注目されがちですが
どこを切り取っても、すごく美しいと思います。
その中で
胸の中で何度も誓ってきた言葉がうわっと飛んでく
「1mmだって忘れない」と・・・
ってあるんですけど、ここが結構好きです。
「胸の中」「何度も」「誓ってきた」って
自分の中にある強い想いを表す言葉ばかりですよね。
そこに「1mmだって忘れない」も加わります。
私がただ思ってるだけですけど、
aikoちゃんの歌詞は、こういったものが多くて
誰かに対してとか、出来事に対しての想いを
大切に切り取って、しがみついて、離したくない
って言ってるような印象があります。
私は、楽しい出来事があったら
しがみつくし、いつまでも忘れたくなくて
何度も思い出して「楽しかったな~」って
ずっと頭の中で繰り返しています。
楽しいことがいっぱいあるけど、
クソむかつく、みたいなことももっと沢山あって
いつも、それに負けてばかりいました。
もしかしたら、私が苦しんでいることって
そんなに大したことじゃないかもしれません。
他の人の方が絶対大変だと思うし。
でも、私は自分の悲しいこととかストレスを
どうやって発散したり方向転換すればいいか
ずっと、方法を知りませんでした。
何年か前に、まず自分がやってみたことは
思ったことをなんでもノートに書くことでした。
自分が本当に思っていることを
他の誰かに言っていいって習ったこと無かったから
ノートを話し相手にしていて。
でも、ノートに書いてもスッキリしませんでした。
余計に怒りや悲しみが増すだけで。
書かないよりはマシだったけど。
その後、
ラジオでメールが読まれたことがきっかけで
aikoちゃんを応援していく環境の中で
楽しい出来事がいっぱい起こりました。
すごく嬉しかったから、
毎日しがみつくように思い出していました。
でも、生きていくには家のことも仕事も
色々こなす必要があるから、
そんなに思い出してもいられなくて。
時間が経つとその時の高揚感も褪せてくるし
どうしようかな、って。
そこで、楽しかったことばっかりを
手帳(日記)に書き留めるようになりました。
書いている時はその時の気持ちが蘇るし、
後から読み返す時も蘇ってきて、
嫌なことを忘れるんですよね。
みんなもやった方がいいよ、っていいたいです。
書いてあることは、それほどすごくなかったりします。
すごい思い出もあるけど、例えば
「コンビニ入ったらaikoの曲流れた~!」とか
「スマホ開いた瞬間たつたつさんがツイートした!」
みたいなことです。
でも、ずっと書いてると、「その程度のこと」でも
嫌なことしかなかった日に読み返すと
「自分にもこういう日があったなあ」って思えるし
楽しいことを見つけに行ってる自分て悪くないな、
って思えます。
ライブで目が合ったとか、そういう「すごいこと」も
「この曲のここの歌い方良かったなあ」みたいなことも
普段やなことばっかりの自分には、
どれもすごく大切なので、いつしかそれを
「お守り」って言うようになりました。
やなことあっても思い出して頑張れるんだから、
「お守り」です。
最近「花火」の歌詞を追っていたら
「1mmだって忘れない」
っていう歌詞は、aikoちゃんにとって
どんなものかわからないけど
私にとっては、この「お守り」のことだなあ
って思いました。
楽しいと思った時の景色とか
できるだけ書き留めて、いつでも思い出したいです。
22年経っても、歌詞に寄り添って
新しい発見ができるのってすごくないですか。
更に「花火」が好きになりました。
とにかく感謝
こんなに沢山楽しいことを提供してくれる人は
他にいません。
休まずずっと歌い続けてくれていて
本当にすごいと思うし
これからも新旧問わずどの曲も楽しんで
新しい発見をどんどんして
もっとaikoちゃんの音楽を好きになりたいです。
私だけじゃなくて、他の人たちもみんな
同じように応援しているだろうなと思います。
どうか、元通りのライブができる世の中に
なっていきますように。
ファンの私たちだけでなく、
aikoちゃんにもお守りが増えていくといいなあ。
まだまだ完結しません。ずっとこのままがいいです。
いつも本当にありがとうございます。
大感謝。
あいたいなー!!!
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