ジーザス・クライスト=スーパースター 2024/10/1

noteに書こうかな、と思うことはちらほらあるけれど
2記事めにして、ジーザスログになる予感、、笑
愛が溢れるから、しょうがない。

キャストさんは、ジーザス、ユダ共に
前回観劇時と異なる方で
加藤迪さんと吉岡慈夢さんでした。
神永さんをもう一度観たい気持ちはあるけれど、
同じ役に対してもニュアンスがすこし違って感じるんだろうなあ、と胸が高鳴る開幕前。

【序曲】
演目の絶対的な魅力のひとつに、音楽がある。
不穏な音楽と横たわる人々。
そして、照明もどきどきするくらいに格好いい。
舞台奥からバックライトで照らされる『ジーザスクライスト』
彼を求めてうごめく群衆は、ブルーとレッドの
混じった照明で、おどろおどろしく見えた。
音楽が強くなるにつれて、手の動きがヒートアップする。
比例して、ユダの苦悩が増していく、、
こんなに、序盤から心を掴まれる舞台も
そうそう無い。
人々が下手を向き、舞台奥がまぶしくなるところ
たぶん『奇跡』が起きていると想像している。
ここは観る側に解釈を委ねられるところなのかも?

【ジーザスクライスト 加藤迪】
他の方のレポでもよく見るけれど、加藤さんのジーザスには温かみ、血の通った青年、人の子
そういうイメージ。
神永さんはひたすら神秘的で、ゲッセマネでの苦悩で『ああ、やっぱり人間なんだ』と気づかせてくれる感じ。
商売人を蹴散らすところ、
奇跡を望んですがる人々に『自分で直せ』と
一蹴するところ、まだ模索していらっしゃるのかなと勝手ながら思ったりしている。
なんなら、ユダの裏切りを知りつつ『行け』というのも父性か?と思うような優しいニュアンスを感じてしまった。
ジーザスほど難しい役ってあるんだろうか、、

ゲッセマネで神に何度も問いかけ、しかし神からはなにも返事は返ってこない。
そこで一瞬だけど悲しみをもった表情で俯いて
『、、いいだろう、』と歌につなげた表現が
本当良いなあと思った。
当たり前だけど、ただ歌ってるだけじゃないから。

【イスカリオテのユダ 吉岡慈夢】
ユダを見てると胸が苦しくなる。
結構、舞台前にいることが多いのだけれど
その時に必ず、くっきりとした混沌を表すような
渦巻き模様の照明が当たっている。
まさしくユダの心情なのかな、と思う。
銀貨30枚をつかみ、居場所を教えるところ
あの顔に当たるライトがいい仕事をする、んですが
いかんせん今回は顔面とライトが近すぎて、ただただびかびかに照らされた顔面、っていう風に見えたのがちょっともやもや、、
その後、下手から現れるジーザスがずっとユダを見つめていて、ユダも同じようにジーザスを見つめるところがなんとも言えない。
スーパースターの時のユダは、風刺強めのパンクロッカーな印象。

【あとがき】
前回の観劇から、キリストの受難を本で読み込んで
前より分かる部分も増えた、けれど
私の中でユダの裏切りが、完全には腑に落ちないまま。
一筋縄でいかない人間の心が、そうさせるのか、、
noteにひとまず書き出したけれど
また、解釈と思考にはまっていこうと思います。

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