がじぇりんこ

特にこれといった目標も無く、なんとな~く生きていた私。 そんな私は哲学と出会うことで「…

がじぇりんこ

特にこれといった目標も無く、なんとな~く生きていた私。 そんな私は哲学と出会うことで「考える」ということの大切さに気が付きました。 誰かの「考える」きっかけを目指して発信します。

最近の記事

境界線のない世界

虹色は何色で表現する? 虹色と聞いて皆さんは色を何個想像するでしょう? 一般的に日本では虹色を7色と表現しますが、これが世界共通の見解ではないことをご存じでしょうか? 国や地域によって色数に違いがある 虹を見てわかる通りはっきりとした色の境界線はありません。 黄と緑の間を“黄緑”とすることも、逆に青と藍を“青”とまとめることも可能なのです。 人の考え方や思想も色と同じ おそらく人の考え方も色と同じなんだと思います。 人の数だけ考え方が存在している。 そして理解できる

    • "やりたいこと"

      「"やりたいこと"ありますか?」 この問いに真正面から向かい合ったことはありますか? 正直なところ、今の日本という国には、思考を止めてしまっても、あまり路頭に迷うことなく、割と安全に生きていけるような仕組みが既に用意されています。 悪いことではありません。 むしろ誇ることだと思います。 しかし、だからと言って思考を止めてしまうのは勿体ないです。 ただ何となく生きるというのは、ソシャゲのログインボーナスを受け取ってゲームを閉じるのと同じようなものです。 それでプレイヤー

      • ”わたし”の在処

        物質で満ちたこの世界に生きる”体”と、”わたし”が生きる世界は別のもである可能性が高いと私は思っている。 例えば、交通事故で右腕を失ったとしよう。 ”わたし”はどこにいるだろうか? 失った右腕だろうか? いや、残った”体”だろうか? こんな場合はどうだろう。 真剣白刃取りに失敗して体が真っ二つになってしまった。 ”わたし”はどこにいるだろうか? 左半身だろうか? 右半身だろうか? なんとなく理解できたのではないだろうか? ”わたし”とは”体”に宿るものではなく、別の空間

        • "わたし"

          人はやはり"考える"生き物なのだと思います。 "人"と言うよりも、"わたし"の方が正しいのかもしれません。 "人"とは"わたし"をこの世に接続するケーブルでしかありません。 本体はやはり"わたし"です。 "わたし"に備わっている主な機能は"考える"です。 外部(この世)から刺激を受けて、それについて考えます。 刺激に対する感想や反応、分析、考察、思考等々... "わたし"の数だけ違いがあるのでしょう。 私はその違いにこそ興味があります。 "わたし"とはこの世に

        境界線のない世界

          子供が"欲しい"とは?

          私達人間は、子孫繁栄を目標とする動物なんだと思います。 性欲はその象徴と考えます。 しかし、その目標に向かってただ突っ走ることは正しいのでしょうか? 私は疑問に感じます。 生きていて良かったと思う瞬間は確かにありますが、その逆も多々あります。 皆さんにも心当たりがあるかと思います。 この残酷で美しい世界に、子供を残すということについて私は考えました。 結論から言ってしまうと、子供を残すということに明確な善悪はないと私は考えます。 厳密にいうと人間には判断することの出来

          子供が"欲しい"とは?

          この世界の「物」とは。

          この世界は沢山の”物”で溢れていますよね。 いったい誰が用意してくれたのでしょうか? 神様ですかね? 皆さんは考えたこと、ありますか? この事について”仏教”はこんな答えを導きだしています。 「人間が勝手に作った」 なんだか拍子抜けですかね? そんなことないでしょ~って思いますか? でも、よ~く考えてみると確かにそうかも… って思えてくるんですよね。 それは何故か? ちょっと想像してみてください。 もし、この世界から人間がいなくなったらどうでしょう? ”物”は存在して

          この世界の「物」とは。

          「恋人」とは?

          私がまだ学生だった頃、彼女がいる友達が凄く羨ましかった。 私も彼女が欲しいな~... なんて事を思ったりしていました。 社会人になってからもしばらくはそうでした。 皆さんはどうですか? お付き合いしたいな~って思いますか? もしかしたら既に、お付き合いしているよ~って人もいますかね? 私は縁あって3人の女性とお付き合いをしました。 これから楽しい日々が待っている! 幸せも2倍で最高だ! なんて思っていたのに... どの女性とも長くお付き合いすることはありませんでした。

          「恋人」とは?

          「考える」ためのきっかけ

          私の世界は、とてもとても狭い世界でした。 大人になれば勝手に世界は広がっていくと思っていました。 でもそんなことはないんですよね。 最低限の世界は親が与えてくれますが、 それ以上を求めるなら、自分で切り開いていくしかないんです。 世界を広げるって想像以上に難しいです。 まずは自分の世界が”狭い”ってことに気付く必要があります。 そのためには「考える」きっかけが必須です。 きっかけとは、”疑う”ということだと思います。 「…ちょっと待てよ?」 この疑いがすべての始まりです

          「考える」ためのきっかけ