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睡眠中に見る夢の方の話である。

夢の意味を記憶の整理であると説明するのが最近は定説となっている。

記憶はエピソード記憶とスポット的な五感の記憶に大別される。

記憶の整理といってもエピソード記憶でいけば現実には存在しなかったり、荒唐無稽なストーリーが夢の中で展開されることがほとんどだから、実記憶というより、妄想や未来予測や過去の断片の寄せ集めであったり、まさにカオスを一旦フォルダにまとめてしまうような作業かも知れない。

一般的にはこのような曲がりなりにもストーリー性のあるものを夢と呼ばれることが多かろう。

五感、特に視覚にこびりついた印象的な感覚を夢で再現されることも叙情的に興味深い。

子供の頃、よく見た印象的な視覚イメージが二つあった。一つはダムの視覚であり、よほどあの高低差が生む印象的な視覚が脳が捉えて離さなかったのであろう。
もう一つは踏切と歩行者信号の混合的な視覚。
どちらも何か催眠術に使われそうな単調な動きの連続であり、先ほどのストーリー記憶での各ストーリーの混合や妄想との入れ込みがあるとの説明にも近くこの視覚イメージもいつしか脳内で組み換えられ複数の類似シグナルが混合したシンボル的なイメージ画像となり、夢の中で(主に入眠時の夢うつつで)たびたび登場した。

成人してからも数回、そのシンボル映像、もしくはそれに類似した新たな視覚イメージを見ることがあり、幼少期の脳が柔らかいときの感覚の再現にも近いノスタルジックな不思議な感覚を味わったものだ。

最近はストーリーともイメージ画像とも違う、その中間というべき、どこか架空の空間、例えば複数階の建築物であるが、現実に会社や学校、宿泊した建物、かつて住んでいたところなどの断片を複合的に再構成したような、もしくは複合ではなく、そのどこかを脳が若干記憶の曖昧さに伴い作り変えたような空間イメージが登場する。
それがどの程度のインターバルか定かではないが一度登場した架空空間が複数回登場する旅立ちに架空の記憶が何か懐かしい過去のよつな感覚を生み出す。

映画『インターステラー』については後日、また詳細を語るとして、インターステラーの後段部に登場した五次元空間、正確には五次元空間で作り出した四次元空間イメージ。

夢でみるシーンは四次元空間的な世界で三次元イメージを疑似的に再生したものとの感覚は強まってくる。それが学術的に正しいか否かは別として、詩的なにそういったイメージは深まるばかりである。

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