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100作品目。七味とうGらしの基本思想の整理

1週間ほど前に述べたことは以下の通り。この世はカオスで出来ている。秩序とはそもそも存在しなく、デフォルメしてようやく秩序らしきものが生まれることを述べた。秩序をデフォルトと錯覚していることから真実は見えない。カオス前提で事象を捉える必要にも言及した。
一方で逆説的だがシンプルに考える利も説いた。

1点、直線、平面これらは秩序の基本だろうが、数学的発想では基本的なものに相違ないが極限という概念を使わないと1点すら存在しない。ボールペンで点を書いたつもりでもインクは点以上に広がり面積を持つ平面である。ペン先をドンドン鋭くして「ほぼ点」をマイクロな世界の極限までいき「もういいでしょう、ほぼ点ですよ」と決める概念上に点をこしらえている。余談ながら円周率を3.14だと取り敢えず決めることも「ほぼ円周率」なわけで完全に正確ではない。少なくとも3.1415より不正確だ。直線も球体上にいる限りどこかで曲線になる。

先日のブラックホールに地球が飲み込まれない可能性はほぼゼロの説明をしても「ほとんどゼロ」。
そういうことにしないとすべてが成り立たないから極限で物事を捉えている。

津波の可能性を考えると海辺に住むことも、ともすれば宿泊することも出来ない。
地震も同様ですね。建物の倒壊を考えると何千万円も投資は本来出来ない。保険はあるにせよ。

日本人は諦観をもとに生きてて、「島国地震列島ではいずれいつか災害に見舞われる可能性は十分ある。それでも仕方ない。それを恐れて生きていたら何も出来ないから、近似値でほぼないと日頃は考えないようにして生きている。」この諦観は一見するとネガティブな考えに思えるが究極のネガティブ、また突き抜けて究極のポジティブに昇華している。

ここまでの説明だと日本人に強い諦観はプラスの面が強いように思えるがそうとうも限らない。

さて、コロナ禍においても会食したり、カラオケにいったりして感染するのはこの諦観の弊害だろう
「注意していれば自分だけは掛からない」という最近流行の言葉でいう正常性バイアスと言われるものだが、根底には「どうせ用心してもかかる時はかかる。それは仕方ない。諦観だ。気にしていたら何も出来ない。」という作用が悪いように働く場合もある。

物事には対極の正反対な側面が同時並行して含まれていることもカオス前提にする姿勢に加えるべき。ただし裏表という概念も完全な平面があると信じている「近似値」の発想であり、平面に厚みがあれば立体だ。つまり完全な2次元は存在しなく概念上に3次元で切り取った発想なのだ。
したがって裏表の二元論だけでなくもっと複雑に中間やら別の要素も内在しているということ。
このように考えるとこんがらかってくるから、やはりデフォルメは必要でシンプルに事象を切り取って(つまり抽象化して)考えることが大事となる。

このシンプルすぎる発想が続けば上記のようにややこしく考える視点も必要であるし、
ややこしく考えすぎている時はシンプルに捉え直すという。月並み言えばバランス感覚が何事にも必要なのであろう。

ps.今作がnoteでの100作品目である

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