見出し画像

春うらら鶏白湯、海の地層が山国に表出している

鶏白湯麺(あご出汁)という上品で旨みの強い拉麺を食した。
 拉麺は出だしにチャーシューや煮卵や白髪葱や海苔といったトッピングを 楽しみ、麺もいっぱいある状態より麺もなくなりかけsoupをすする段階が 一番美味い。   

さて、春麗、信州は桜が満開。
むかし浦島太郎の絵本で四季を一同に表した絵を思い出す。
 桜色、桃色に染まる山々に鶯がなく風情。

  花粉(スギ・ヒノキ)はピークだと言うが今年はほぼ炎症がない。   2年間北海道にいて花粉症なしを経験(向こうには杉やヒノキの花粉はほぼ飛ばない) し、かつコロナ禍でワクチンなども打ち、ここ数年で肉体改造も行い完全に体質が変わったようである。
   肉体は新陳代謝で生まれ変わるから、変化してもおかしくない。 皮膚は約1ヵ月で全て入れ替わる。血液5リッターは100~120日で入れ替わる。 骨ですら成人で2年半で全て入れ替わる。つまり3年前の自分は物質的には別の存在。
   如何に細胞や組織がコピーを精巧に作るかだから徐々にしか変化しているようには見えない。  

 ココロとはカラダの一部もしくは総称と仮定するとココロもコピーされて変化は徐々にである。
 しかしココロは物理的な実態がない概念でもあり簡単に変化しそう。
ところがフィジカルよりも 実は変化しにくいのが心とも言える。
前日の趨勢を見事に引きづるということか?

   今朝面白い記事を見た。この発達障害を医学的にケアーしようと手厚い現代はグレーゾーンにも すぐに診断名がついてしまう。アスペ、ADD、ADHD、自閉症スペクトラムその他。   その中でADHDは突出している人の中にも実に多い。坂本龍馬、織田信長、エジソン、アインシュタイン、ビルゲイツなどなどが その症例を持っていたのではないか?と言われる。
 偉人が必ずしも全員そうなわけでもない。またその症例にあるものが必ずしも鬼才を発揮するとも限らない。   

その中で人間を狩猟民族と農耕民族で分けると狩猟民族的特徴がADHD特性の人には強いと。   
ニンゲンをA、O、B、ABの大きく分けて4つに分類するのは乱暴。すごくズボラなA型もいるし、すごく繊細で神経質なO型もいる。

 それと同じで狩猟民族と農耕民族をすっぱり2つには分けられない。
両方の要素を相応に持っていてどっちかというと狩猟の方が強い 人と農耕的性質が強いひとがいる程度の差だ。 
  とは言え狩猟民族型はコツコツ1から物を作り上げるより、既存のものをアイデアで斬新にリファインする仕事が向いているとも。   

これは文章作りも同様ですね。何かを模倣しないで文章を作ることはほぼ不可能だと思う。どこかで聞いたものを思い出して 自分の言葉に変換して咀嚼することが多い。   農耕型の文の組み立ては更地から一つ一つ概念種を植えて紡いでいくような作業。 狩猟型の作り方は先人の作品を大胆に導入してそれを作り変えいくような作業。 

  明治維新以降の開国で海外の文化を輸入して工業製品中心にアレンジしていくのが日本人は得意とついこないだまで言われた。   不思議な逆転現象ですね。
日本は古来から農耕文化が主で、モンゴル人などのような狩猟民族ではなかった。 
だから文明もアレンジより地道に作り上げる方が得意そうなものだが。   農耕そのものがアレンジ(品種改良)する営みだからという分析もあり、そうなると農耕型がコツコツとも必ずしも言えなくなる。

 狩猟型もライオンのように一度狩りにでて獲物を捕まえて捕食し満腹が続く感はゴロゴロ寝ていて何もしない。そして腹が減ったら 休にアドレナリンが放出されてシャキッとして狩りに動きだす。そういうムラがある生き方が典型的な狩猟型と思われるが ニンゲンの場合はライオンほど極端ではなく狩猟をするにも入念な準備をしたりコツコツした作業も加わっている。
 いわばハイブリッド型と言おうか  

 なので〇〇症候群と単純に区分する現代の精神医学には私は疑問の念を呈しているのである。
   血液型もラベリング効果というものがあり、自己暗示の一種で自分はA型だから神経質だからとラベリングすると さして神経質でもないのにA型的な性質が強まっていく。  

 農耕型、狩猟型もラベリングして良い効果を得られていればそれを続けるべきだし逆に効果が芳しくなければ 逆のラベリングをしていくのも一興かと思う。   
 
  

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?