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法治国家と同調圧力と「常識」の正体とは

法治国家(ほうちこっか)

(独: Rechtsstaat、仏: État de droit)近代ドイツ法学に由来する概念。その基本的性格が変更不可能である恒久的な法体系によって、その権力を拘束されている国家。であり、国家におけるすべての決定や判断は、国家が定めた法律に基づいて行うとされる。この国家を理想とする思想を法治主義(ほうちしゅぎ)という。法治主義には形式的に法の形態を具えてさえいれば悪法もまた法となるという問題点があり、英米法的な「法の支配」とは区別されることがある。対義語は人治国家。

ウィキペディアより引用

人間は生まれたときから国家や社会組織に強制的に属すわけであり、本来はルールだとかについては合意、同意、署名、捺印を持って契約を交わすべきものなのに、憲法やら法律を何の合意も無しに交わされている。

上記のようなことを言ってると

それは親に従うのは子供だからとか
そんなに国家を嫌うなら、その枠組みから外れて野生少女エルザのようにオオカミだとかライオンだとかクマと暮せばと非難を受けかねない。

しかし

大人になり例えば株式会社に入社するときには誓約書やら合意文書にサインする。サインした以上はその会社の社則に従うのは筋だ。
勿論、その社則がその時々の世の中の常識から大きく逸脱していれば、それはおかしいと指摘はする権利も基本的人権を基に出来るが、あまり尖った社員はとかく疎まれる。出世の目も摘まれる。

それが、

国家の一員となるのは誕生した瞬間からであり、いや子宮にいた頃から既に始まっているのか?物理的に合意サインが出来ないから親が親権者として代理でサインはしないが基本的合意をするというのが一般的な常識だろう。

しかしよく考えたらその親自身も自分ではサインなどしたことがない。その連鎖が脈々と続いている。

しかし、仮に令和三年の世の中で突如、日本国憲法を全面刷新し、あらゆる法律が180度に近い改変がなされるときは国民投票やら国家への参加者(国民)はいずれのかたちであれサインはすることになるだろう。

憲法やらが制定されたときにのみ合意がなされ、その後は、その子、その孫、その子孫では基本的に何の合意もなく、親に従うのが子の務めとばかりに合意させられるのは本来はおかしいと思うことが本来は普通なはず。しかし、そんなことを思っていると異常とばかりに、
社会の規範に背くものを排除しようとする力が働くのもまた、国家であり、県市町村であり、自治会であり、属する企業であり、属する家庭であったりする。

同調圧力につながる論を法治国家に絡めて述べてみた。

勿論私自身も「常識」に塩漬けにされているから
流石に今回のエッセイは屁理屈かなと思ったりもするが、

その「常識」自体を疑えば屁理屈でもなんでもなくピュアな意見に相違ない。

同調圧力については詳細を述べた下記も参考にされたし

同調圧力|七味とうGらし @GacTea #note https://note.com/gacktoa/n/n368d9a4ebc12

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