ガチグロくんの回想 5

私は4月から鉄骨鳶の仕事についた。
仕事は嫌いではなかった。
遠軽を出た後家に戻った私はまた最悪な環境に戻った恐怖と不安しかなかった。
毎日思うのである。今日俺は何を失うのだろうか、、、
得ることはなかった本当に失うことばかりだった。
義理の父から全裸で外に逃げることもあった。死にたい、消えたいと思っていてもいざその感覚が迫るととっさに逃げていた。
私は生きたいと思ってたのだと思う。
こんなままで終わってたまるかいつか見てろ。
今もそう思っている。
満足は負けだと思う。何にしても満足してしまっては先がない。当たり前のことだがあまりにもすぐ満足してしまう人が多い。向上心は一生無くしたくない。

そんな中で私は姿をくらました。
夜中私は一人で走った。私の地域の夜はそこまで明るくない。まだ木の電柱がそこら辺にあるような地域だ。
その中で時々聞こえてくるのだ。
私の名前を呼ぶ声が、家の人間が私がいないのに気づいて追ってきていたのだ。
貯木場の近くのアパートとフェンスの間に身を隠していた時シャーっと自転車の通る音がした
私は草の隙間からその音の方を見た
義理の父が妖怪のような顔で自転車で走りすぎたのを今でもはっきりと覚えている。
あいつの顔を思い出すだけでなんとも言えない怒りが湧いてくる。
そうして走って以前住んでいた地域(ガチグロくんの回想1で出てきたおばちゃんとお姉ちゃんの家)へ駆け込んだ。
真夜中だったが私を家へ入れてくれた。本当に助かった。
それからしばらくそこにいた。外へ出て奴らに見つかるとまずいのでその家の中から滅多に出ることはなかった。しばらくして捜索願いが出ていたので警察が来た。
パトカーで色々聞かれこのままじゃ俺保護されるなと思った。警察に保護されるとうまくないなと思ったのでおまわりに祖父母の家ならどうかと相談をした。するとそれならいいと言われたのでそのままパトカーで祖父母の家へ送ってもらった。いいタクシーだ😅
祖父母の家へ行って1週間ほどすると祖母にこう言われた。

あんたがいると体調に良くないし好き勝手やってきたんだからしょうがない。顔も見たくないから2階から降りてくるな。

正直ショックもあったがまぁそうだよなと思いそれから私は2階から降りることはなかった。
軟禁だった。
食事は祖母が無言で置いていく人と言葉を交わすこともない。
なんだかとても寂しい気持ちになり自分は祖父母の家も出てしまった。
その後私は児童相談所に保護された。
児童相談所は覚えてないほどの回数入った。
今の釧路児童相談所の前の建物のの時代から入っていた。
なので私のことを知らない先生はいなかった。
問題児として扱われていた。別に苦でもなかった。中学生にもなると逆に支配する方へ回っていたからだ。
自分がいると怖がる先生が多かったので一緒に保護されている子達からは慕われた。
中には私のことを毛嫌いする者も少なくはなかった(当たり前だ)

毎日暴れた。ガッシャガッシャに物を壊した。
先生の胸ぐら掴んで引きずったり気に入らないやつを仰向けにして腹に蹴りを入れたり。
私は一度保護所に入ると3ヶ月は出てこれなかった。最長で半年を超えたこともあった。
普通はそんなに長くはいることはない。
期間が決まっているのだ。まるで懲役と無期懲役のような差だ。
なので日が経つにつれ私はひどくなった。ストレスがとてつもないのだ。
そして私は情緒不安定と言われてある所へ入れられた。

続きは次回、、、👊


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