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不妊治療と大学院受験と、それから狩猟免許。

「鈴と小鳥と、それからわたし」的な音感で並べてみたものの、ダメだ。いかつすぎる。

今年度、仕事以外で注力したことトップ3。不妊治療、大学院受験、狩猟免許。我ながらすごい食べ合わせというかなんというか。
幸運なことに、いずれも良い結果を得られた。
そして今は、今月からはじまる予定の育児と来月入学予定の大学院との両立をどうしていくかという嬉しい悩みの真っ只中。
ここに至るまでの思考と感情の変遷を書き残しておく。


仕事を週2~3におさえて不妊治療に臨む

昨年2023年2月に帰国して、しばらくは「何をしよう?どう働いていこう?」を考えても考えてもピンと来なくて、とにかくその日その日で気になる対象に手を入れてきた、ということを以前書いた。


庭の手入れをしつつ友人たちとの再会を楽しみつつな日々を過ごし、4月頃から徐々に、声をかけてもらったいくつかの案件に携わりはじめた。
とは言っても仕事の時間は週2~3くらいにおさまるようセーブ。それは不妊治療に注力しようと決めたからだった。

【読んでくださる方へ】
不妊治療についてどこまで書くか悩みました。
ただ、SNS上で不妊治療に取り組んだ友人知人の投稿を見かけていたおかげで不妊症というものをある程度身近なものとして受け入れることができたし、ネット上のいろんな方たちの体験談を読むことで起こりうる事態などへの理解が進みました。これらのおかげで自分の心の置きどころを意識しながら治療に臨むことができたので、本記事では思考と感情の変遷に力点を置くこととし詳細な治療歴は省略しています。一個人のエピソードとして捉えていただけたら幸いです。


20代の終わり頃から「なんかまずいかも」と感じて少しずつ動き出し、34歳で妊娠するまでに最終的に通った病院は3つ。
はじめの頃はブライダルチェックの延長くらいの気持ちで、検査しても特に致命的な異常が見つかることもなかったので「まぁ、そのうち」という感じ。病院でも「年齢的にもまだ焦らなくて大丈夫」という雰囲気があった。
ただ順調に時間は過ぎていき、30歳ちょっと超えたあたりでさすがに焦りが出てきた。通院していた婦人科からも「うちではこれ以上できることはない。高度な治療ができるとこ紹介するからそっちに行きなはれ」とお達しが。
この頃は仕事も立て込んでいて、その合間を縫って病院に通い股を開き続ける日々はちょっともう思い出したくないくらい正直しんどかった。当時は夫と十分に話し合えていたとは言えず、互いの温度差も孤独感を加速させた。

明確な原因が見つからなかったのもしんどさの要因だったように思う。どうやら不妊症には原因不明のケースが多いらしい。病院に通う=原因を見つけて治療する、ということだと認識していた自分には「ではどうすればいいの?」と途方に暮れた。それだけ人の身体は複雑で未解明なことが多いということなのだと、今は思えるのだけれど。

その後、紹介先の総合病院で高度生殖医療の説明を受けたものの、精神的にも時間的にもこのまま本格的な治療に突入するのは厳しいと判断し、一旦治療自体をストップすることにした。
ちなみにこの時、説明をしてくれた先生が「原因を突き止めるためにあれこれ検査を重ねるより、治療のステップアップをした方が早い」とさらっと言ったのが印象に残っている。そういうものなんだなと納得し、原因を知りたがっていた自分とは決別した。

それからいろんなタイミングが重なって世界旅に出ることに。子どものいない今だからこそできることを楽しもうという気持ちもあった。実際、二人でたくさんの経験を共有できたのは結果的に良かったと思う。気持ち的にもリフレッシュできたし、二人の時間を満喫したからこそ自然とステップアップへの道に進もうと思えた。


不妊治療に全振りはしないと決めた

そんなわけで気持ち的には軽やかに再スタート。とはいえ、飛んでいくお金と過ぎていく時間には早々に面食らった。
往復の移動〜待ち時間〜診察〜会計で3時間ほどかかるのはザラ(このうち診察自体は10分ほど)。生理周期優先なのでスケジュールを詰めないでおく必要もある。保険適用になったとはいえ血液検査やら自己注射やらで会計がどんどん膨らんでいく。検査の過程で子宮内膜ポリープがあると言われて数日間の入院&手術をしたりもした。
再開前も似たような状況ではあったので驚きはなかったけれど、仕事をセーブして時間的な余裕はあった分、逆に「これだけお金と時間をかけてもできなかったら…?」という不安が募りだす。

そんな時間を1ヶ月ほど過ごした頃、ふと気づいた。
自分の努力や意志でコントロールできないことに賭けるのは精神衛生的に良くない。

ネットでいろんな体験談を読み漁っていると「やめ時が分からなくなる」「検索魔になって不安が増す」等々の話が散見される。分かる。不妊治療の何がしんどいかって、投じたお金と時間と本人の努力が結果につながるとは限らないこと。一方で身体のリミットも着々と近づいてくるので、続けない判断をするのもかなりの勇気がいる。


そうだ、大学院へ行こう

仕事をセーブしつつ治療を続けた先に待つ未来が、決して明るいものとは限らない。
不妊治療を続けても結果が実らなかった時、費やした時間を後悔してしまうかもしれない。
もしも望む結果が得られなくても後悔しないよう、違う道を考えておきたい。

そんなことを考えていたら、20代半ばから抱いていた「いつかは大学院に」という思いが再燃。大学院の詳細は別の記事に改めて書くとして、自分の関心に沿って院の修士課程を受験することにした。

こう書くと、大学院を人生の保険的に捉えているのかと不快に感じる方もいるかもしれない。
けれども私には世界旅の途中に訪れたフィンランドのアアルト大学での光景が目に焼き付いている。日本から留学中の知人男性が、小さなお子さんを乗せたベビーカーを押しながら学内を案内してくれたこと。図書館では学生らしきお父さんと4,5歳ほどの子が穏やかに過ごしていたこと。周囲もそうした様子を当たり前のものとして受け入れていること。
「育児しながら大学院に通うことってできるんだ」「どちらかを諦めなくていいんだ」と思った。育児も大学院も未経験で未知数の自分にとって、こうしたポジティブな光景を見ることができたのは大きい。日本ではまだまだこうはいかないかもしれないけども。

アアルト大学内。広々とした空間


受験までの限られた時間で、これまで触れてこなかったジャンルの書籍や論文にも目を通して、研究計画書を推敲して。(ああ、短期的に明確な目標があるというのはなんて走りやすいんだろう!)
英語はIELTSに短期集中したけど全然伸びなかった…ので過去に受けていたさほど誇れないレベルのTOEICスコアを提出することに。とほほ。


里山の暮らしに向き合うには狩猟もしたい

ほぼ同時期に狩猟免許も取得した。
私の暮らすまちでは鳥獣被害をよく耳にするし、夜間の帰宅路では鹿に遭遇することもしばしばある。私が来た8年前と比べると目に見えて防獣ネットが増えた。昨年にはついに我が家の庭のオクラとジャガイモもきれいさっぱり食べられて、泣く泣くネットを設置した。

鳥獣被害を訴える農家は多いが、その一方でハンターは高齢化とともに減っている。行政も害獣駆除に乗り出しているものの、状況は芳しくない。
自宅周辺に罠を設置して農作物を守り、解体もして肉をいただいたらいいじゃんと思い、罠猟免許を取ることにした。免許の取得自体は特段ハードルの高いものではなく、事前講習をきちんと受けて教科書を読んでいればほぼ落ちないと言われているもの。同時に、大学院での研究テーマとして鳥獣害と里山の在り方を扱えるといいんじゃないかとか、町内に加工所がないため流通に乗せられない状況も変えていけないかととか考えていたので、基本的な知識を習得するのにも役立った。

大槌町を訪れた際に官民協働の事例を聞かせてもらった


やりたいと思ったことはさっさとやるのがいい

そんなこんなで、狩猟免許試験は問題なく通過し、大学院もなんとか合格できた。
そして、ほぼ同じタイミングで妊娠した。

幸いなことに、1回目の採卵&移植で授かることができた。とはいえ、流産の可能性もそれなりに高いし「○週の壁」なるものがいくつも立ちはだかるので、しばらくは検索魔になりながら経過を見守る日々だったけど。
長期戦になることを覚悟していた分、思いのほか早く授かることができて驚いたのが正直なところ。そして新たな悩みが出てくる。3月出産予定、大学院は4月入学。進学する大学院は対面授業が基本で、近畿圏なので車で直行しても片道3時間はかかる。さすがに出産後しばらくは育児にかかりきりになるだろう。1年入学を延期させられないか(海外の大学院だとDeferralという入学時期を猶予する仕組みがある)、できないならいっそ入学辞退するべきなのか悩んだ。

そうした戸惑いを育児経験のある友人に吐露した時、「それは大変そうだね。でもあなたならきっとやるんだろうね」とニコニコしながら言われた。
「くー、他人事だな!」と内心ツッコミつつつも、単純な私は「あ、そうか。私ならやれるんだ」と自己認識を逆輸入して謎の自信を得る。前向きな気持ちにさせてくれる周囲の環境がありがたい。
いろいろ調べた結果、長期履修制度を活用して2年間のプログラムを3年かけて履修することにした。


旅も、大学院も、不妊治療も。何事にもタイミングがあって、やりたくても「今じゃない」と思う時は多い。でも「今かも」と思ったら、その直感はたいがい正しいのでさっさとやったほうがいい。
私の場合は個人事業主という働き方を選んで時間配分をコントロールしやすい状況にあったのが、自由な選択をできた要因として大きいだろう。誰にでも気軽に言うつもりはない。でも、そう思う。


春を待つ

気づけば予定日まで2週間を切った。先月から自主産休(*)に入り、ゆったりと過ごしている。
(*)個人事業主に産休という制度はない。自分で選んだ道とはいえ、会社員との社会保障の違いを目の当たりにした。

最近は何をするにもヨッコイショ。恥骨が痛い。入院バッグや育児グッズを揃えたりと、着々と準備中。町内の先輩母たちからおさがりの子育てグッズをいただいたり出産育児情報を聞かせてもらえるのがとても心強い。
大学院の入学手続き関係の書類も届いた。4月の入学式もガイダンスも行けないので、担当教員や学生掛の方々へその旨を連絡したり、履修計画を立てたり。こちらもせっせと準備中。

しっかり身体を動かしなさいと言われ、自宅の周辺を歩いている。まだ寒い日もあるけれど、梅が咲き河津桜が咲き、つくしも顔を出してきた。春の訪れを見つける散歩はたのしい。


こぼれ種で咲いたらしきダイコン。たくましい
小学生のおともだちがくれた安産祈願。ありがとう

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