2021年6月の記事一覧
修身教授録Ⅱ第9講 情熱
修身というものは何よりもまず人間というものを力強く人生を生きるよう覚悟させるものでなくてはならない。
人間の偉さとは、人生に向ける情熱とそれを浄化する意志力の2つである。
情熱のない人間はでくの坊であって何ら手の下しようがない。
感動できる人間はまだ魂が死んでおらず進歩できる可能性をもっている。
そんな魂は幾つになっても純情な素朴さを失わないものである。
感動が澄んでいくことは無力になるのではなく
修身教授録Ⅱ第8講 気品
気品とは人間の値打ちの全てを言い表すと言っていい。
気品とはその人の最も深い所から発する内面の香りである。
しかしこの気品は先天的なものが働いていて、人間一代の努力や修養では及び難いところがある。
祖先代々の修養の集積なので、自分が修養を積めば子孫に受け継がれる。
そのためには「慎独」=一人でいる時も己を慎むことが最も大切。
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修身教授録Ⅱ第7講 大志を抱け
志は「立派な教育者」のような曖昧なものではいけない。
「〇〇に〇〇な影響を与える立派な教育者」のようにどういう道を選ぶかを明確に答えられなければならない。
真の志とは、この二度とない人生をどのように生きたら生まれてきた甲斐があると常に忘れないということ。
だから結局は「世のため人のため」という所がないと志とは言えない。
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修身教授録Ⅱ第5講 一つの目標
教員免許を取ることを終生の目標とするような人間は憐れむべき存在。
二宮尊徳や吉田松陰が教育者だったらどういう生き方をするか。
学問修養に志す以上、偉大な先人の歩かれた道を一足でもにじり寄ろうとする気概がなくてはならない。
そのための方法として、40歳になったら1冊の本を書いてみるのがいい。
力強い道を歩いた足跡を記せば書物の一冊にはなる。
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修身教授録Ⅱ第4講 生命の愛惜
「人生二度なし」は生命を愛惜するなら必然と分かる。
しかしその価値は漫然と生きていては気付かない。
四十くらいになれば気付くが、その頃では遅い。
真実の教育というものは、自分の取返しの付かない悔いを繰り返させないという一念から始まる。
生命の愛惜は人間として生まれたことに幸せを感じることから生まれる。
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