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宝塚歌劇『大階段』あれこれ(2022年5月)


みのおエフエムで毎月第4週目にお送りするコーナー『今月のMyスポットライト』は大好きな舞台やエンターテイメントを熱く語る時間。
今月のテーマは大階段。
宝塚歌劇の象徴とも言える舞台装置、大階段について、思い出をまじえながら番組内で語ったものを文字化した。


まずは大階段がどんなものかについて。

舞台上に設置される階段でおおかいだんと読む。
通常宝塚大劇場や東京宝塚劇場では、公演の最終場面(フィナーレ)で「大階段」が使われる。
大劇場の舞台に初めて階段が取り入れられたのは1927年(昭和2年)9月のこと。
日本最初のレビュー『モン・パリ』で16段の階段が登場した。

その後階段の段数は次第に増加したが、最初の頃は公演中の舞台で組み立てる方式がとられていた。

1957(昭和32)年8月のレビュー30周年記念公演の『モン・パリ』では50段の大階段が登場したことも!

その頃は舞台奥にある階段状の大道具を引き出して組み立てる方式であったが1958年(昭和33)からは
舞台天井に吊り下げられた大階段を電動で降下させる方式に変わった。
1973年(昭和48)には軽合金製に造り変え、軽量化を図る。
現在の宝塚大劇場の階段は普段はホリゾント(舞台奥の壁面)に立て掛けられており、自動制御により約140秒で使用できる状態になる。

全部で26段。幅は下段が14.6m、上段が10.3m、高さ4.29m、1段の踏み面は23㎝、高さ(蹴込み)は16.5㎝。

縦横自在の電飾模様を豆電球2461個の点滅回路で表現できる。

ちなみに最後に羽を背負って降りてくるトップスターがスポットライトを浴びて立つ位置は上から16段目だ。
(宝塚歌劇検定公式基礎ガイド2010 P40より引用)
  • 旧大劇場時代との差
    現在は2分ほどで階段状になるというが、旧大劇場のときはもう少し時間がかかった印象がある。
    まずは天井から巨大な板のような形で舞台に降ろされ、下の段が舞台に届くと、今度は前に迫り出してくる独特な動きが見られた。
    子どもの頃(昭和 40年代〜50年代)の私は、ショーも大詰めを過ぎ大階段が見えてくると、ワクワクすると同時に「ああ、もうフィナーレか、夢の時間が終わってしまうのか」と、寂しさを感じたものだ。

    2461個の電球。今は点滅回路でかなり複雑な模様や文字を表現できるが、昔(昭和40年代)は数パターンしかなかったし、同じ公演内で目まぐるしく色やパターンを変えることも出来なかったように記憶している。
    それから、昭和のころは、たまに一部の電球が切れているのを見た記憶あり。今思うと牧歌的。

    ちなみに旧大劇場の3階席後方からは、座席の高さと角度の問題で大階段の上の方が見えなかった。

  • スタンバイするのも大変
    大階段を降りる前にまず上まで登る必要がある。
    大階段にはカゲ段と呼ばれる階段がかみ手としも手にある(らしい。当然私は見たことはない)
    カゲ段の段数は不明。かなり急なものではないかと推測できる。そこを出番に間に合うよう駆け上がらねばならない。
    脚力つきそう。

  • よく考えたらめちゃくちゃ怖い大階段

    私は最近、階段を降りる際、手すりに手を添えるようになった。
    踏み幅が十分にある階段ですらそう。

    それなのにタカラジェンヌはフィナーレで両手にシャンシャンを持ち、足元を見ずに軽快に降りてくる。
    娘役はたいてい、ロングドレスを着て、ハイヒール姿だし、トップスターは約20キロあると言われる大きな羽根を背負ってあの階段を降りてくるのだ。
    ただ降りてくるだけではない。あの階段の上で踊ったりするのだ!
    当然、足を滑らせたり踵を引っ掛けたりして、こける人もいることだろう。

    私がその瞬間を目撃したのは一度だけ。1985年ペイさま(高汐巴)がトップ時代の花組『愛あれば命は永遠に』のフィナーレナンバーでのこと。以下芸名に敬称略で失礼する。
    ベートーヴェン「皇帝」で男役5人が大階段で踊るシーン。メンバーは専科から特別出演していた榛名由梨、トップスター高汐巴、二番手男役 大浦みずき、三番手男役 朝香じゅん、そしてダンスの名手 瀬川佳英。
    私は当時、なーちゃんこと大浦みずきのファンで、たまたまその日は宝塚友の会の抽選で当たった1階い の28番に座っていた。(当時の宝塚大劇場の座席は1列、2列…ではなく いろはにほへと順。つまり最前列に座っていたのだ)もちろん目はなーちゃんに釘付け。うっとり見ていたら、なーちゃんが、多分かかとを階段に引っ掛けてしまったのだろう、立った状態のまま、ガタガタガタと階段を滑り落ちるではないか。「ひーっ!」と叫んだのは私だけではなかった。しかし、5段ほどずり落ちたところで、わが大浦みずきは奇跡的に踏みとどまり、続きから踊り始めたのだった。私の心臓はものすごい勢いで拍動していたが、おそらくご本人はもっとハクハクしたと思う。ざわつく客席に大丈夫ですよ、と作った笑顔が、いつになく引きつっていたから。
     なんの公演の時かは知らないが、真矢みきは足を滑らせ、正座のような体制で階段を下まで滑り落ちてしまい、膝から下が血だらけになったけれど、笑顔で立ち上がりシャンシャンをふってご挨拶した聞く。噂によると、大階段から落ちると出世するというジンクスがあるらしい。知らんけど。

    元タカラジェンヌさんから聞いた話では、宝塚音楽学校 本科生は授業で大階段を降りる練習があるそうだ。そのかたはその授業中、途中で足がすくんでしまい、上がることも下りることもできなくなったのだとか。その方が下級生のうちに退団した理由は「大階段が怖かった」あながち嘘ではないだろう。

  • 揺れる大階段
    フィナーレ大詰めに、男役が勢揃いして踊るシーンがある。見ている側はうっとりするが、激しい振付だと、固定されていない大階段は揺れるらしい。
    皆が一糸みだれず踊っていると、揺れが一定なので気にならないが、何人か動きがずれると変な揺れ方になり酔いそうだと、これは元タカラジェンヌさんからお聞きした話。

  • 大階段を使った見せ場の数々
    なんと言っても黒燕尾に身を包んだ男役たちのダンス
    たとえ一番上の段の端っこであろうと、ラインダンス組から抜け出てこのメンバーに選ばれることが男役さんの最初の目標かもしれない。

    幕が開いたらいきなり大階段があり驚いたのは1983年 順みつきサヨナラ公演 花組『オペラトロピカル』。
    開演時から最後まで大階段が舞台にずっとあり、ダンスなどは大変な制約があっただろうが、 南国を舞台にした情熱的なショーは非常に印象的な作品だった。

    緞帳が開いたら男役が大階段に勢揃いする姿に、思わず客席がどよめいたのは1992年 雪組 杜けあき『忠臣蔵』と1997年 星組 麻路さき『誠の群像』だ。普段フィナーレで見る大階段を日本ものの冒頭に出してくることに意表をつかれた。かたや討ち入り姿の四十七士、かたや浅葱色のダンダラ羽織姿の新撰組隊員。勇壮な主題歌も相まって、冒頭からテンションが上がる演出だった。

    2008年月組 瀬奈じゅん『Apasionado!!』では、緞帳が上がると、いきなりの大階段、その中央(上から16段目?)に一人立つ瀬奈じゅん。遠目に見ると、顔しか見えないのは、大階段全体を覆い隠すほどの巨大マントを身につけていたから。まるで大階段全体を衣装のように見せており、紅白歌合戦の小林幸子もかくやはという趣。イントロが流れ、曲調が変わる瞬間、かみ手しも手両方から勢いよくマントの布が引き抜かれ、スパニッシュの衣装をきた瀬奈じゅんが現れた!私なら布を引く勢いでグラグラしそうだが、涼しげな顔で微動だにしない瀬奈じゅんは男前。思わず「おおお」と声が漏れた。

    そのほか、大階段を断頭台に向かう階段に見立てた演出が素晴らしかった『ベルサイユのばら』フェルゼンとマリーアントワネット編。

    2018年花組 明日海りお 『MESSIAH  -異聞・天草四郎』では島原の乱の場面で大階段が登場。キリシタンが次々撃たれ、倒れていき、島原城の石段に見立てた大階段が屍累々たる有様になったが、倒れゆく人々が遠景では十字架に見える趣向があり、宝塚歌劇ではむごいはずの死すら美しいものだと納得する場面となった。

    このように、さまざまな名シーンを生み出し続ける大階段。1927年にこのような舞台機構を考案し作り上げた宝塚歌劇団。100年以上続くのはダテではないのである。

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