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秋の季語「名月」(季節を味わう#0023)

世界で一番短い詩、俳句。
「季節を味わう」では、毎月第2水曜日に季語を一つピックアップ。
その季語が使われている俳句も紹介します。あくまでも私の好みで。


【名月】

9月(秋)の季語です。
旧暦八月十五日の中秋の名月のことです。
一年中でこの月が最も澄んで美しいとされています。
虫の音や秋風などによって月の美しさがいっそう引き立ちます。

「名月」を読んだ句を2句選んでご紹介します。

名月や池をめぐりて夜もすがら   松尾芭蕉

この句は「池をめぐりて」の主語が誰(何)なのかの解釈によって違うものが見えてきます。
池をめぐっているのが「人」であると解釈すると、中秋の名月を愛でながら池の周りを一晩中巡っていた、という意味になります。天上の月と、池に映る月、両方を愛でながら歩いているも知れません。
一方で、池を巡っているのは「月」だと解釈した場合、月が一晩かけてゆっくりと池の周りを動いているという意味なのかも。
読み手の解釈でどのようにでも味わえる句だと思います。


名月をとつてくれろと泣く子かな  小林一茶

美しく輝く満月を「取ってちょうだい」と、無理を言って泣く子を描いた句です。私がこの句を初めて知ったのは小学校3年生か4年生の時、学校の授業で習ったように思います。
その当時から今までこの句について感じていることがあります。
それについては誰にも言わずに胸の中で思っていました。
だって、正直に言ったら自分の性格の悪さが露呈しそうなんですもの。
でも今回、初めて、感じていることをそのまま書きますね。
「そんな子ども、本当にいるのか?」
関西のお笑いコンビ 大木こだまひびきさん流に言えば「そんなやつ おらへんやろう」です。

私はこれまでの人生で、さまざまな満月を見上げました。
あまりにも大きく見えて驚いたり、青白い美しさに怖さを感じたり。
だけど、一度として「あのお月様を取ってちょうだい」と思ったことはありません。ましてや親にお月様をねだったりしたこともありません。そもそも月を手に取ることはできないとわかっていたからです。
そんな無理を言って泣くのは、よほど親に甘えているのか、もしくは「私はそんなメルヘンなことを考える夢みがちな可愛い子どもなの」と思っているか、そのどちらかに違いない、そう思っていました。そしてそういう子どもとは絶対に友達になれないと思っていました。
そしてこんな句を作る小林一茶のことをあざといと思っていたのです。
あざといのでなければ、「子どもとは、叶えられない夢のようなことをねだる無邪気で可愛い存在なのだよ」と思っているのかしらね、でもそれは幻想だぞ、こどもは無邪気なんかじゃない、計算高い生き物なのだぞ。
そんなふうに思っていました。我ながら本当に性格が悪いですね。

今回、この句の背景を調べてみました。
この句は、小林一茶が57歳の頃に、娘の「さと女」を背負って月見をしていた時に読んだものなのだとか。一茶は「さと」を溺愛していたそうです。
ところが、この「さと」ちゃんは、この後1年ほどで亡くなっています。「さと」ちゃんだけではありません。54歳で授かった初めてのこども千太郎も生後1ヶ月ほどで亡くしているし、次男 石太郎、三男 金三郎、みな赤ちゃんのうちに無くしているのですって。
子どもの成長を見守ることもできず、みな幼い頃に亡くしている一茶にとって、娘さんを背負って見上げた名月は特別なものだったのかも知れません。
娘さんである「さと」ちゃんが本当に「お月様をとって」とねだったのか、それともその部分は一茶の創作なのか、どちらにしても我が子と過ごしたわずかな時間や、思い出を大切にしていることだけは真実なのだと思います。
ずっと意地悪なことを思っていて、申し訳ない!!と、今は小林一茶に詫びたい気持ちでいっぱいの私です。

(2023年9月13日)


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