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体臭の味つけのないポワゾンは決して「毒」にはならない

バンコクに帰ると必ず寄るブティックがある。
タイ産の美しい絹やその他の趣味のよい工芸品が並んでいて、見ているだけでも飽きないからだ。最近では香りの品々も多くなり、石鹸や蝋燭に加えてオイルなども置いてある。

オリエンタルの香りはどことなく気持ちを落ち着かせるもので、おだやかな気持ちのまま絹製品を手にとっていたわたしは、ふっとわたしの前を通り過ぎた白人女性にいきなり心を乱された。官能的で濃厚な香りがしたからだった。

クリスチャン・ディオールのポワゾンだ。

フランス語で「毒」と呼ばれるこの香水が全盛期を極めていたとき、わたしはパリにいた。チューリッヒからパリへの旅行は、飛行機を使えば2時間もかからない。

そのころのパリでは、どこへ行ってもこの香りが鼻をさした。ねっとりとからみつくような香りで、たぶん体臭と混ざり合ってよけい動物的な挑発を秘めるのかもしれない。ひとに寄って香りが微妙に違うのも、刺激的だった。

そして、それはまさに白人女性の体臭のために作られたような香水だった。
そのことに気づいたのは、その後に一時帰国した日本でもやはりポワゾンをつけている女性が大勢いたからだ。

当時はバブルの真っ只中で、挑発的で高価なドレスを身につけた若い女性たちが、六本木を闊歩していた。そしてこの香水がむせかえるように振りまかれていたのだが、香りが違う。面白みがないのだ。

どの女性も同じ強くセクシーな香りを放っていたが、いかにせん日本人は体臭がほとんどない。からみつく刺激的な体臭がないので、このポワゾンは行き場を失って毒のないただの「よい香り」になってしまっていた。

わたしも実は一本持っているのだが、あまりに強くてほとんどつけたことがない。それに悲しむべきか喜ぶべきか、わたしも日本人のひとりであるから、やはりほとんど体臭がないのだ。

引っ張り出して手首にちょいとつけてみたが、やはりあの原始の欲望を目覚めさせるような香りにはならない。
宝のモチグサレ、とはこのことである。

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