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ヨンヒキ


とんでもなく暑い夏に、今年も我が家だけが置いてけぼり、永久不滅の小春日和だ。心地の良い室温に保たれ、1猫につき1つずつ、つまり4つもある窓の全てには光彩を匠に操る麻のカーテンが吊るされている。どこをとっても最高の居場所になり得るよう、随所随所にやれハンモック、やれ爪研ぎなどと媚売り設計にしているにも関わらず、ダイニングテーブルで寝ているところしか見たことのないでっかいハチワレ。お母さんの隣席は譲らないと言わんばかりに、ダイニングチェアに腰掛けるミルクティ色のアメショー。甘え上手、人がいるところならどこでも大好き茶トラの脚長マンチカン。誰にも邪魔されないキッチンカウンターはボクのもの、全身をくるくるの毛に覆われた末っ子の黒猫。同じ生物だと括るにはあまりにも乱暴ではないかと思うほど、瞳の色も毛の色も食の好みも性格も何もかも本当に違う個体が4つ、この東京の片隅の電車が通るたびに地鳴りする部屋で身を寄せ合わずに生きている。チュールチュールチャオチュール。猫と暮らしたことのない人間は、猫がこの音楽を聴いただけで大喜びだとお思いの事でしょう。そのように形容しても違和感がないほどチュールに揺れる尻尾を見てきた私からすると、そういうことにしておいても構わないかという気もするが、事実のところはそうではない。長男である茶トラの足長マンチカンは、この既成概念に背を向けて差し出されたチュールを素通りである。お観せできないのが心苦しくらいの、文字通りの素通り。これはあれだきっと、小さい頃に食べたことのないものに反応しないだけで一度味を占めれば虜になるのに相違ない、と思って何度か鼻先につけてあげたこともあったが訝しい顔をするだけなのだ。人間社会に置き換えると、こんな場面で「人生半分損してる」なんて言葉が飛んでくるのが目に浮かぶけれど、実に幸せですと読める彼の縞模様を見ていると、ただのインスタントコーヒーがやたら美味しくなるのだ。どいつもこいつも全然同じじゃない猫という世界で、ゴヒキメを目指して四足歩行を教えてもらう土曜の13時。

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