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きっと誰のせいでもない

コロナになったら喉が死んだ。のどちんこが縮み上ったったまま戻らない。

コロナになったのは1月1週目の日曜日で、僕は異動したばかりの部署に馴染むも馴染まないもまだ始まったばかりで、これまで2年近くコロナにならずにやってきたのにと悔しくて仕方なかった。お正月休みが明けてすぐ、しかもその日は成人の日を目の前にした3連休のど真ん中。休養期間というぼた餅が棚から落ちてきても、手を出す気にならなくて、餡子と米粒がスプラトゥーンみたいにベチャッと床に貼り付いた。ただ有給減るだけじゃんとクサクサしながら僕のコロナ休養が始まった。

とにかく、熱や鼻詰まり、頭痛なんかは大したことない。年がら年中ロキソプロフェンに頼りきりなので、だからコロナの数日前にも少し頭が痛かったような気がしたけれどあまり深く受け止めていなかった。こんな僕でも異変に気がつけたのは、喉の様子が明らかにおかしかったからだった。朝起きて30分経っても声がガラガラしていて、少し痛むような感じがした。たばこを吸う気にもなれず、わざと声を喉に当てるようにして「全然お腹空いてない」とか「結構毛だらけ」とか言わなくていいことを口にする。別人みたいな自分の声にもすぐに飽きて、とりあえずお水でも飲もうと、冷蔵庫に立ててある、水道水を濾過して飲み水に変えてくれるポットから、精製された冷たい水をコップに注いで口に含んだ。口内の温度が一気に下がる、と同時に水の方も一気に温くなって、その伝導が想定よりも早い。どんどん熱が加わり一定の温度になると、スライムみたいにドロドロと溶け始めて口内を占領し、そのあまりの気持ち悪さに僕は追いやるように飲み込もうとした。するとそれは、慌てて元に戻ろうとしたせいか、歪な形で、つまり限られた面積に持てるだけかどを作りながら喉へ向かうのを拒むではないか。そうなればこっちもその変化に動揺してはいられない。反発を許さないように両手を口に当てて、もう一度、首の筋肉にグッと力を入れた。イッタイ。火傷の上をこすり上げるような凄まじい痛みを伴ったものの、幾分か変化しきれずに残ったスライムの部分が潤滑剤になったお陰で、それはなんとか食道へと降りていった。
結局コロナに罹患していると判って、数日間は何を食べても何を飲んでもその調子だった。プリンもお粥も、のどちんこ前にすると表情すら変えてかどを生成し恐ろしい裏切りを見せた。
一方で僕は、友達とアマゾンプライムを同時視聴するイベントを覚えたり、本を浴びるように読んだり、なんだかんだと充実した休養を過ごしていた。ふと思い出したときに、画面越しに大きな口を開けて友達に喉を見てもらっては「全然良くなってなーい」とケラケラ笑っていた。
3日目の夜。友達とのビデオ通話を終えた静かな部屋で、改めて自分でも見てみようと、そこにあったライトと鏡を手にした。舌をグッと下げて奥を照らすと、そこに居たのどちんこはネットで見たあるべきはずの大きさの1/3くらいに縮み上がっている。もともと自分にどのくらいののどちんこがついていたのかも知らないけれど、これが明らかに小さいことだけは解るのと、肩を窄めたような情けない姿にやけにショックを受けた。果たして元に戻るのだろうか。不安を鎮めたくて、側にあったペットボトルに口をつけるも、依然として水は喉の手前でかどを生成し、攻撃の手を一切緩めない。このまま4日目を迎えるのは耐えられないと思った僕は、久しぶりに九州のおばあちゃんに電話をして、ガラガラの声を聞かせて甘えることにした。あんた、それ大丈夫なの?ちゃんと食べれてるの?おばあちゃんは、こういう時にクヨクヨしない。こっちはふたりとも元気よ。あんた、まともなもの食べてないんでしょ。煮物やらなんやら多めに作って、まとめて送ってあげるわよ。そう言って、冷凍庫がどれくらい空いているのかを確認するとさっさと電話を切られた。冷凍庫はガラガラだよと嘘をついてしまったばっかりに、どの食べ物をどうやって消費しておくか考えあぐねていたらいつの間にか眠りについていた。

7日目。喉の痛みは空咳と入れ替わりで急に治った。もう水を飲み干しても今までと何ら変わりのない水。10日目にもなれば会社にも復帰し、新しい上司や仕事と2度目ましての連続。腹ペコになったお昼に唐揚げ定食をモリモリ食べても喉は何ら問題なさそうだったが、咳はだらだらと続いていた。それとひとつ困ったのは、声の出し方が定まらなくなったことである。ハキハキと喋っているつもりなのに、相手に届く前に声が落ちてしまうこともあれば、程よく相槌を打ったつもりが想像より大きな「へえー」が出て、感じが悪くなってしまったり、まるで違う楽器を装備しているかのようだ。
家でひとりそんな失敗を思い出すと、それもこれもあの情けないのどちんこのせいだと腹が立って鏡の前で口を大きく開けてみるが、のどちんこは未だに縮み上がったまま。どうしたものかと角度を変えて喉の奥を照らしているとインターホンが鳴った。「あ、置き配でお願いします。」「はーい。冷凍なので早めに引き上げてくださいね。」配達員がいなくなったのを見計らってドアを開けると、”電気柵 戦猪走失(せんいそうしつ)”と書かれたダンボールがあり、再利用ダンボールのキャパを超える内容量をガムテープで無理やり抑え込まれている様が、おばあちゃんからの荷物ですと言わんばかりだった。既に張り裂けそうなダンボールは、カッターの刃を少しあてただけであとは勝手にビャッと開いた。その隙間からは人の家の冷凍庫の匂いが漏れてくる。そこに人差し指を突っ込んで、手前に思い切り引き裂く。「シチュウー(そのままレンジOK)」とか「早めにタベテ!」とか、赤いマジックで書かれた文字からおばあちゃんの声が聴こえてくる。やはり箱の大きさからは考えられないくらいの量の凍った食べ物がどんどん出てきて、きっとそれぞれの冷気がお互いを冷やし合ってうちまでやって来たのだろうと思った。
もう全部出したかなというところで、底の黒が影ではなく、それ自体もおばあちゃんからの仕送りだと気がついた。きっちり底のサイズに収まっていたのは、真空パックされた手作りのおはぎ。一枚の板のように敷き詰められたおはぎだった。そういえば、おばあちゃんはいなり寿司とおはぎだけは毎回送ってくるな。一緒に住んでいた頃も、なんでか2ヶ月に一回くらいで作ってたもんな。懐かしい。そしてふいに、棚から落ちてきたぼた餅を部屋の隅に撒き散らしたままだったことを思い出した。やれやれ。製氷室までパンパンの冷凍庫におはぎを詰めてから、僕はビニール袋とウェットティッシュを手に歩きはじめた。そうだそうだ。あのぼた餅のせいだ。あれを片付ければのどちんこも元に戻るに違いない。

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