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太田三郎の絵葉書 《夕涼み》


1 夕涼み

 《夕涼み》という題はかりにつけたものである。
 この絵葉書は、神戸の絵葉書資料館の複刻を持っていて、アール・ヌーヴォーを和に取り入れたよいできなので、いつかオリジナルを見てみたいと思っていた。

 このほど、運よく入手することができたので、紹介したい。 

 宛名面を横置きにした場合、右辺に切りはなした後のミシン目が確認できるので、雑誌の付録絵葉書かと思ったが、下辺左にNIPPON HAGAKIKWAI(日本葉書会)の文字がある。『ハガキ文学』の付録でなければ、単独で発行されたものである。
 もしかすると、今でもあるように、数枚のシリーズとなった絵葉書がまとめて綴じられていて、一枚ずつはがしていく仕様になっていたのかもしれない。

 上図の右下部にLITH MITSUMAの文字があるので、当時の京橋区銀座3丁目7番地にあった三間みつま印刷所で印刷されたことがわかる。
 LITHはおそらくlithograph(石版)の略で、多色石版であることを示している。
 三間印刷所は石版印刷を得意としていた(注1)。

 宛名面に仕切り線はないので、私製葉書の発行が認められた明治33年10月以降、宛名面に通信文が書けるようになる明治40年3月以前の制作ということになる。
 おそらく、絵葉書ブームが盛況であった明治38年頃の発行ではないだろうか。 

 河畔の夕涼みは画題としても一般的で、広く見られる。顔を描かないのも、特別の意味があるのではなく、一般的な伝統にしたがったものだろう。 

 輪郭線や、着物、団扇の骨などが銀で美しい。光をあてて撮影したので、銀の輝きがよく映えている。

 銀の輪郭線は、太田だけではなく、中澤弘光なかざわひろみつも試みている。やや太めの線は、アルフォンス・ミュシャに代表されるように、アール・ヌーヴォーの特徴である。
 また、やや太めの輪郭線は琳派(たとえば、尾形光琳《太公望図屏風》)にも見られる。
 和の伝統の画題を、アール・ヌーヴォー風の描き方でとらえると、ちょっと不思議な感じがする。
 ジャポニスムの影響を受けたアール・ヌーヴォーの描き方で、日本的な画題を描くと、もともとの日本に、異国から見た日本が二重焼きされたような不思議な感覚が生まれるのである。

 こうした現象を、高階秀爾氏は「ジャポニスムの里帰り」と呼んでいる。

 着物の柄は、型染らしく、大きさは大形(大紋形)の7寸5分(約28.5㎝)はありそうである。
 掲載図版が多い、石崎忠司著、石崎功編『和の文様辞典 きもの模様の歴史』(2021年5月、講談社学術文庫)で、調べてみたが似た文様を見出すことはできなかった。 
 ジャポニスムのことを念頭に置いて、日本の染の型紙が西欧に影響を与えた跡をたどる展覧会の図録『KATAGAMI Style』(2012年)も見てみたが、やはり適合するものは見出せなかった。ただ、着物の柄のレンコンを輪切りにしたような角のない柔らかな感触は、ジャポニスムの影響を受けた西欧のデザインに通じるものがあるように感じた。

 ウィーン分離派の機関誌『ヴェル・サクルム』はネット上で見ることができるが、1899年1号に掲載されたヨーゼフ・マリア・オルブリッヒのフリードマン邸の子ども部屋のインテリアデザインの樹木は少し着物の柄に似ている。たぶん、深い意味がない偶然の一致であろう。

 筆者は、オリジナル、複製を合わせて、まだ70枚程度しか太田の絵葉書を見ていないが、この絵葉書は、印刷のよさを含めて代表作の1枚としてもよいような気がする。

2 金銀の印刷

 金色、銀色の印刷はどのように行ったのだろうか。
 いつも座右においている、郡山幸男『広告印刷物の知識』(昭和5年4月、誠文堂)の「第三章 平版式印刷術」に「金銀色印刷」という項目があるので、全文を引用しておこう。

金銀色印刷 金色銀色の印刷は、今日では多く平版で印刷されて居ます。 小規模には凸版でも印刷されない事はありませんが、その事は後に申します。
 平版印刷による場合は、始め金銀色となるべき線の版を製版し、それを金下きんしたインキ (Gold size)といふ一種のワニス(植物性油を煮つめて濃くしたもの)で印刷し、それのかわききらぬうちに、金色、銀色などの細粉さいふんりかけるのです。さうすると、金下インキの粘着力のために、その部分だけ附着しますから、余分な粉を払ひ落します。この金銀粉は女工などが綿わたの如きものでこすりつけてもよいのですが、近来は特種の機械で作業します。金銀粉は、もとより眞物ほんものの金銀ではなくて銅やアルミニユームの細粉さいふんなのです。
 凸版による金銀粉きんぎんふん印刷は、前記の如きワニスに金銀の粉を混和こんわしたインキを用ひ、普通の方法で印刷するものなのです。

郡山幸男『広告印刷物の知識』(昭和5年4月、誠文堂)

 下地のインキを塗り、その上に金銀の細かい粉をふりかけるというのは、じつは浮世絵の金銀摺りの技法と変わらない。
 浮世絵の場合は、礬水どうさ明礬みょうばんを溶かした水ににかわをまぜたもの)を、たんぽ(綿を丸めて皮や布で包んだもの)につけて、金銀色にする色版をよくたたき、紙をのせて摺り、かわかぬうちに、金銀粉をふりかけ、吊り下げた紙の背をたたいて余分な粉を落とす。

 郡山は、細粉をふりかける機械が実用化されたと記しているが、明治期にその機械がひろく導入されていたかどうかは未調査である(注2)。
 平版である石版印刷の金銀印刷に上記のような手法が用いられたことは間違いないだろう。
 また、ワニスと金粉、銀粉を混ぜた特殊なインクを使った凸版印刷を平版に組み合わせた可能性もあるだろう。

 矢野道也『印刷術』下巻(大正2年5月、丸善)は、金刷りに使う擬金粉(ブロンズ・パウダー)はドイツ、バイエルン地方フュルトの工場が有名で、銅と亜鉛を混ぜて作られると指摘している。金属粉は人体に有害なので、厳密な工程管理が必要だとも記されている。
 また、金刷りの劣化は少しでも鉛分を含む場合に起きやすいと指摘されている。

 絵葉書を見てわかるのは、金刷りが色あせてしまっている場合が多く、この絵葉書のように銀刷りがあざやかさを保存されている場合が多いということである。

 金刷りに比べて銀刷りが劣化しにくいのは、アルミニウムを使用しているためだと思われる。アルミ製の1円硬貨と、銅製の10円硬貨の経年変化を比較すればよく理解できるだろう。

10円硬貨 左、令和5年 右、昭和54年
1円硬貨 左、昭和39年 右、平成3年

 銅製の10円硬貨の劣化は目立つが、アルミ製の1円硬貨はさほど変化していない。
 この変化の差は、絵葉書の金刷り、銀刷りにも類推できるだろう。

3 拡大して観察する

 銀刷りの部分を拡大して観察してみよう。

 帯の部分の拡大図である。

 いちばん後で銀刷りが施されたことがわかる。

 団扇の部分の拡大図である。
 
 他の色の部分と比較すれば、銀の部分が細粉が密集したものであることがわかる。

 対岸の家並みと空の部分の拡大図である。

 拡大しないとわからないが、屋根や空に少し銀粉が散っている。
 これは、銀粉をはらうときに起きたことだと推測される。よけいな銀粉を取り去るときに、下地液がついた銀粉が、他の場所に付着してしまうのである。
 おそらく不可避的におきることであるが、結果として隠された効果があがるということがあればおもしろい。

 オリジナルの1枚の絵葉書が手元にあれば、ずいぶんいろいろなことを考えることができる。


(注1)『日本印刷界』第62号(大正3年12月、日本印刷界社)には、「印刷展覧会出品物概評」(結城林蔵、矢野道也)という記事が掲載されているが、三間印刷所の出品物について、「出品の石版印刷物は何れも巧みに出来てゐる、同所の印刷物が一層よい所以は画工が甚だ熟練したものだからと思ふ、どのビラを見ても調色が非常によい、画工の苦心が不尠潜んでゐる」と評している。

(注2)矢野道也『印刷術』下巻(大正2年5月、丸善)にこの機械の詳しい解説が出ている(139頁)。マーク・スミスの金粉塗抹機というもので、大小6種の型が発売されていたという。「印刷機に類する如き紙差台から紙葉を一枚づゝ刺しつくるときは爪にてよく咬まれ、紙葉は一の円笛面を超えて金粉溜の下を通過す。この金粉溜と云ふのは丁度印刷機のインキ溝と同様のもので、一の溝に接してブラシを巻いたと云ふロールがありて廻轉し、之れによりて金粉が徐々に溝から運ばるゝと、次ぎに双頭に触れて金粉はブラシ面から弾き出され、紙面に撤布せらる。夫れから同様のブラシのロール二本の下を通過して完全に金粉を撒布し、次ぎに二本の研磨ロールの下を通りて、最後に過剰の金粉を擦去すべく四本のロールの下を通過して全く綺麗に金粉が擦去せらる。之れにて金粉刷りが終り、紙葉は一枚づゝ一方から搨󠄁り出さる。扨てこの機械の最も重要なる部分は下部に吸気装置があって、錐形の吸ひ口からポンプにて空気を吸ひ込むと、其辺に飛散せんとする金粉末はこれにて吸ひ込まれ、上方に舞ひ昇り、金粉は復た先きの金粉溜に戻り、空気のみは他に排除せらるゝことである。斯くて工場は全く綺麗に保持せらる。この機械は多くの金粉刷の機械中でも最も声価を博して英は勿論のこと米・独にも行はれて居る。
 その外クリスマスカードなどの様に極めて小形の紙葉の金粉刷りには、最近小型で且つ極めて軽便なる機械が沢山発売せられて居る様であるが、それらは一々述ぶる迄もない程である。」最後にあるクリスマスカード用の小型機は、絵葉書にも応用できるはずで、使用例があるかどうか探索したい。

*参考、郡山幸男『広告印刷物の知識』(昭和5年4月、誠文堂)に掲載されている「金銀粉つけ機械」の図。矢野著にいう、マーク・スミスの金粉塗抹機と同じものと思われる。


*ご一読くださりありがとうございました。


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