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太田三郎の絵葉書 《猿曳き》


1 「猿曳き」とは

 検索によって、博文館の雑誌『文章世界』第3巻第1号(明治41年1月15日)の付録絵葉書で《さるき》という題がついていることがわかった。
 上端にミシン目の跡がついている。

太田三郎筆《猿曳き》『文章世界』第3巻第1号(明治41年1月15日、博文館)付録絵葉書


 雑誌の付録絵葉書は、刊行されたときの季節感を重視している。
 《猿曳き》は猿回しのことだが、正月の季語としてあがっている。
 また、猿が描かれているのは、明治41(1908)年がつちのえさるのさる年であったことにちなんでいる。

 『日本の歳時記』(2012年1月、小学館)では「猿曳き」について次のように解説している。

正月に猿を背負って各戸を回り、太鼓に合わせて芸をさせ、米銭をもらい歩く門付け芸人。古くから猿はうまやの守り神とされ、武家や農家の厩の一年間の無事と一家の繁栄を祈るのが猿廻しの本来の姿だった。

 猿曳きは門付け芸能の一つでありながら、猿が厩の守り神ということで、正月の行事に組み込まれていたことがわかる。

 一日の仕事を終えて、家路につく猿曳きと猿を描いており、寂しさがあるが、輪くぐりをさせる棒は紅白で正月を感じさせている。
 

 左上部の「一月廿四日 良」というのは発信者が書いた文字である。

 4色4版であろうか。

 図録『フィリップ・バロス・コレクション 絵はがき芸術の愉しみ展 忘れられていた小さな絵』(1992年、朝日新聞社)には、この絵葉書が採録されていて、「描画平版」という説明がついている。英語からの翻訳だと思うが原語はわからない。

 多色石版で、かつ画工が絵を手描きしたという意味であろう。細密な線を表現する際には、転写紙を使った。マンガのスクリーントーンのような模様が確認されるときは転写紙を使ったといってよいのだろうか。
 この絵葉書も拡大すると、地や男の襟、着物、猿の毛などに規則的な文様を見出すことができる。

《猿曳き》拡大図

 以前紹介した《スミレ》の絵葉書にはこうした文様を見出すことはできない。


2 通信文を読む

 当時の小石川区の大塚といえば、明治40年代では郊外にあたる。明治36年に大塚駅が開業してから、少しずつ発展した。

 文面は、ごちそうになったお礼である。

昨日は御馳走様に預りまして
誠に難有く存じます、胃嚢
は大丈夫で依然として其機
能を失ひませぬでご安心下さ
いませ、折角御身御大切に、一
日も早く御全癒遊はすやうに御
祈り致します    さようなら
            さようなら

 たくさんごちそうになったが、胃袋は大丈夫といい、ホスト側の人物が病気だったのか、その快癒を願っている。


 消印は、「駒込 41.1.24」、下欄は判読できない。
 駒込は当時の本郷区で、小石川区大塚とはそんなに離れていない。徒歩で30分以内だろう。

 明治末の東京には電話をそなえた家もでてくるが、葉書は便利で、ごちそうになった翌日に絵葉書で礼状を出したのである。その日か次の日にとどいたのであろう。


*ご一読くださりありがとうございました。

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