太田三郎『欧洲婦人風俗』を読む(上)
1 太田三郎の渡欧
太田三郎は、第7回文展に出品した《カツフエの女》で受賞した後、欧州にわたることを模索していた。しかし、実際渡欧したのは、大正9年(1920)から同11年(1922)にかけてであった。渡欧が遅れたのは、第一次世界大戦(1914−1918)のためであった。
父不在の時に生まれた3男は、父の渡欧の船の旅にちなんで浪三と名付けられた。
美術界をとりあげた『藝天』という雑誌があって、1928年12月号に「昭和美術名鑑―百家選第十七―太田三郞氏」という記