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画文の人、太田三郎

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このマガジンで取り上げるのは、明治大正期にスケッチ画や絵物語で活躍した太田三郎という画家である。洋画家として名をなしたが、わたしが関心があるのは、スケッチ画の画集や、絵葉書、伝承…
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#日本葉書会

絵葉書作者として:画文の人、太田三郎 (9)

はじめに 今回は絵葉書作者としての太田三郎を取り上げる。  1万3千字を超えて少し長尺になったが、分割せずに一括で公開する。  わたしは絵葉書を幅広く蒐集しているわけではないので、太田の絵葉書の全容を明らかにする力はないが、なるべくオリジナルの図版を用いてその魅力を伝えたいと考えている。また、絵葉書流行の文化史的背景も視野に含めながら書き綴った。  ご一読くださればありがたい。 1 絵葉書作者としての太田三郎絵葉書の応募がきっかけ  美術雑誌『藝天』の1928年12月号に

雑誌『ハガキ文学』における活動 画文の人、太田三郎 (8)

太田三郎と絵葉書 さて、太田三郎と絵葉書の関係を考えるとき二つのアプローチが可能である。  まず一つ目は、絵葉書ブームに随伴する形で、博文館が日本葉書会を組織して刊行した雑誌『ハガキ文学』における記者としての活動である。  二つ目は、絵葉書の制作者としての活動である。  今回は、雑誌『ハガキ文学』と太田の関わりについて記すことにしたい。 『ハガキ文学』と太田三郎『ハガキ文学』について  雑誌『ハガキ文学』は日本葉書会が発行元であるが、実質は当時の大手出版社博文館が運営して

画文の人、太田三郎(6) ファンの声

 もともと、この連載は、ゆるゆるで調べていくプロセスも含めて書いていこうとしていたのだが、調査が進むと、もう少し深めてみようという欲が出てきて、掲載が遅れがちになる。  現在、絵葉書を扱う回はほぼ構想が固まっているが、太田のオリジナル絵葉書が1枚しかないので、もう少し集めたいという気持が出ている。  複製使用の許諾を得たところもあり、絵葉書の図版は複数あげることができるのだが、オリジナルを紹介したいという思いがある。  雜誌『ハガキ文学』の回も調べは進んでいるが、これも完全を