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画文の人、太田三郎

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このマガジンで取り上げるのは、明治大正期にスケッチ画や絵物語で活躍した太田三郎という画家である。洋画家として名をなしたが、わたしが関心があるのは、スケッチ画の画集や、絵葉書、伝承…
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#口絵

太田三郎と『少年世界』

 ヤフーオークションで博文館の『少年世界』が出品されていた。太田三郎の絵があるものを数冊落札することができた。  表紙画や口絵を紹介したい。  太田三郎は、博文館系列の日本葉書会『ハガキ文学』で活躍したが、そのかかわりから、博文館の雑誌の表紙画や口絵、挿絵を描く機会が多かった。  女学生向けの『女学世界』での活動は知っていたが、少年向け雑誌での活躍についてはその絵を見る機会があまりなかった。  太田三郎そのものが、埋もれている存在なので、数点でも絵を紹介することに意義

太田三郎の雑誌口絵の切り抜き

 知人から、太田三郎の雑誌口絵の切り抜きをいただいた。当方が太田のことを調べていることをご存じで、古書市で見つけて送ってくださったのである。  多色石版である。高精細画像なので、木の幹を拡大していただくと、石版特有の紋様が見出されるだろう。  太田は雑誌(『女学世界』や『少女画報』など)の表紙画や口絵を多数描いている。  これは女性像から見て、女学生対象の雑誌ではなく、成人女性を読者とするいわゆる婦人雑誌に掲載されたのではないかと推測される。  「社頭の杉」という語で、

《新古小説十二題(一)》森林太郎訳『即興詩人』:画文の人、太田三郎(10)

1 《俗謡十二題》と《新古小説十二題》  太田三郎は、文学と美術を交流させる試みを、雑誌『ハガキ文学』の木版口絵の2つのシリーズ連載で実践している。  1つは《俗謡十二題》といい、小唄・端唄など歌謡の一節に絵をつけたものである。歌謡の一節は、欄外に活字で示されることもあれば、絵の中に組み込まれていることもある。  第4巻第1号(明治40年1月1日)から、第4巻第13号(明治40年12月1日)まで12回連載された。ただし、第4巻第6号(明治40年5月15日)の増刊『静想熱語

絵と文を響かせる 画文の人、太田三郎(7)

 回を重ねてきたので、分かりやすいように、今回からサブタイトルを前に置くことにした。  今回は太田三郎の、絵と文章を組み合わせる画文共鳴の試みについて紹介してみよう。  前回と同じく、太田三郎の熱烈なファンの寄稿の引用から始めることにしたい。 若き画家への賞賛 『ハガキ文学』第4巻第8号(明治40年7月1日、日本葉書会)の読者投稿欄「如是録」に日本橋住みの江原蘆村の「若き画家(大田三郎氏)」という熱烈な調子のファンレターが掲載されている。  蘆村という雅号を使っているが、