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おかゆさん

子供の頃からよく可愛がってくれた叔母が入院した。
5年前から体調をくずし、これで何度目の入院だろう。
気持ちをつなぎとめるため、親戚がかわるがわる毎日見舞いに行っている。

母と2人で、片道1時間半の新幹線旅。
不安と緊張でいつもの親子漫才は陰をひそめた。

病院という場所はなぜあんなに居心地がわるいんだろう。
心がざわついて、平静を装うことができない。
母の誘導で建物内をぐんぐん進んでいく。
心の準備なんてできやしない。
いつになく、母から焦りを感じた。

辿りついたのは、緩和ケアセンター。
事の次第を悟った後、何も知らなければよかったと思った。

ちょうど昼食時で、叔母はベッドから起き上がり一人お茶を飲んでいた。
少しばかりテーブルが遠く、湯呑みを置くのも一苦労のようだった。
見かねた母が、挨拶もそこそこに、スプーンでおかずを口に運ぶ。
そのとき、「おかゆ」と叔母がつぶやいた。
すぐにおかゆをすくい直して、口に運ぶ。
うすい味噌汁と交互に、ゆっくりゆっくり。

食後の歯磨きがおわると、すぐ横になり「痛い」と言った。
看護師さんを呼んで、痛み止めを首のチューブから入れてもらう。
薬がきついのか、意識がもうろうとするようで、すぐに眠った。

母がぽつりと「昔からおかゆさん、嫌いなのに」とつぶやいた。
痩せ細った腕を2人でマッサージしながら、静かな時間が流れた。

どたどたと叔父が合流した。
おしゃべりが好きな叔母を囲んで、昔話に花を咲かせる。
叔母は、目をつむったまま、でも微笑みながら聞いていた。

そして時々目を覚ましては、深い息を吐くように言葉をおとした。
「ありがとう」
「ほんとにありがとう」
「食べんと元気がでんから、食べたいけど。食べられん」
「ぜんぶ痛い」
「お父さん、肉も食べないとだめよ」
「遅くなるから、はよ帰り」

涙をこぼさないことに必死で、返す言葉がなにもなかった。
なんてない言葉が、すべてトゲに感じて。
お別れの言葉になってしまう気がして。
沈黙だって十分な毒なのに。

何もできなかった自分を抱えて、家路についた。
ここ数日、ずっと考えている。
いつか振り返ったとき、大きな岐路になり得るかもしれない。

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