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映画館で見る映画が好きです。

こうたは激怒した。

ここ数回の映画鑑賞でマナーがよろしくないお客さんや環境として集中できないことが発生した。映画は鑑賞している全員が映画と真摯に向き合う場であるべきだと考える。
これまでにも開演前に退場させられる人を見たり、香ばしい香りを纏った人がいることもあったがこんなにたて続き映画を楽しめなかったのは初めてだ。そんなエピソードを2回紹介しようと思う。

※差別的な発言は一切ありませんが不快に思う方もいらっしゃるかもしれません。
ご注意ください。




ケース.1 「オッペンハイマー」

「オッペンハイマー」を鑑賞していたのだが、隣の人の身振り手振りが激しい。
一つ隣にいた私の視界にも入る勢いでの手振り。上下左右。知っている単語やエピソード、芝居と合わせての手振り。甘い匂いのガムを噛む。
流石に集中出来ず、一度席を離れ店員さんに注意を促していただいた。もし今後も気になるようならと別の空いている席を勧めてくださった。
確かに手振りは小さくなったが止まらない。視界に入る。挙句エンドロールでウィキペディアを見ながらの一人リアクションタイム。本当に集中出来なかった。
途中で移動するのも自分が他のお客さんの迷惑にもなってしまうと思い動けず、、、
鑑賞後、先ほど対応してくださった店員さんに感謝の旨と、多少は改善されたがと伝えると、やんわりと説明をいただいた。
これを「しょうがない」の一言で終わらせて良いのか。
私はそうは思えない。我々も料金を払い作品に集中して感想や批評を行いたい。
体験ができない環境で見る映画は辛かった。それをそこなうようなお客さんはいかがなものか。事情があるのであればその事情に合わせた行動をしたほうが良いのかと考える。

|対応案


親御さんが厳しいようであれば同行者をつけるとか。自治体ごとにおでかけの同伴のサービスがある。移動支援などサービスがあるので以下を参照。

この移動支援。これを活用して映画鑑賞をすべきでは、と考える。
これでハンデがるからしょうがないで片付けることこそ差別だと考える。〇〇だから~で括ってしまったりまとめて我々が妥協することこそが差別なのではないのだろうか。
妥協ではなく共存をすべきだ。社会において平等である意味合いとしても、できる配慮をすべきだと考える。本人が舵を切れないのであれば身内がアシストをすれば良い。同伴者が居てサポートをしていればこちらとしても事情が明確にもなるし理解が生まれる。

あるいは親御さんや身内で対応できない場合、映画館で対応するのはどうか。
まずはこちらを参照ください。

上記にある通り福祉手帳にも等級がある。映画のレーティングのように、等級によっては同伴者を必須にすることはできないのだろうか。映画館としても未然にトラブルを防げるし鑑賞している人全員がノンストレスで映画と向き合えるのではないかと考える。

|まとめ

以前、障がい者児童の放課後保育のお仕事をやっていた時に感じたことは、表現の仕方が正直だった。淀みのない自身の感情が感じ取れた。しかし不器用なところもありたまに上手く表現出来ない場面もあった。そこの職場ではみんな(職員さんと利用者)の関係がフラットに感じた。
出来ることは手伝いながら一緒に楽しめれば良いと感じた。

決して何かハンデがあったり問題がある人々を排除するつもりはない。


ここだけははっきり言えます。
だが人間社会平等であるためには必要なことは自分も含めて行動や対応をし適応していかないのだと考える。


ケース.2 「ゴジラxキングコング」


「ゴジラxキングコングx羽虫」

映画上映開始から虫が飛んでいてそれもそこそこ大きい羽虫でずっと視界に入っていた。虫の性質上、光に寄ってしまい映像に黒い点が出来ていた。フィルム映画みたくなっていた。
これは人為的なものではないがかなりストレス。
最後まで気が気でなかった。
一応、店員さんに次の上映までには逃してあげてと伝えた。

ただ、それだけのおはなしでした。

まとめ

映画は感情を揺れ動かすことが出来る素晴らしいエンタメだ。しかし映画館にはマナーがある。上映前に流れてるあれだね。
声を出すなとは言わない。私自身エンドゲームのあのシーンでは声が出そうになった。実際、会場では声を漏らす人もいた。そうやって一体となって映画を楽しむことは素晴らしい。
ようはみんなで映画をみるんだからみんなで楽しもうねって話。僕、私が楽しくても他の誰かが楽しくない環境は良くはない。はっきり言って悪い環境。そうならないためにもみんな良いマナーやモラルを持って映画館で映画見ようね。
今回も読んでくれてありがとうございました。



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