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私と光栄ゲームパラダイス①

あれは1993年の春だったか、夏だったか。

大分の祖父母の家に遊びに行く途上、駅の書店で移動中のなぐさみを物色していると、平積みにされた雑誌大の1冊に目が止まった。

タイトルは『光栄ゲームパラダイス(仮)Vol.1』。

表紙では、おそらく織田信長であろう男が、モップを手にしながら、こちらににらみを効かせていた。

ゲーム会社の光栄(現コーエーテクモ)が出版元であろう事は、余程ゲームに興味がない限りは、容易に察せられるであろうたたずまいだった。

ただ、その内容についてはイマイチ想像し難くもあった。ゲームの攻略や紹介だろうか?それとも、ゲーム会社にしては珍しく自身で出版部門を持つ光栄の事、歴史をテーマにした読み物だろうか。

田舎旅行のお供には、これ位のぼんやりした入り口がちょうど良いのかもしれない。それに、光栄の歴史ゲームは大好きだし、どんな内容であれ買って損はなかろうよ。取り敢えず購入してみる事にした。

移動中にページをペラペラめくると、まず巻頭には、光栄の人気ゲームのパッケージ絵をあしらったカセットレーベル(音楽用カセットテープのケースに差し込むインデックスカード)が付録として綴じてあった。

(880円はこの書籍の値段)

1993年当時といえば、新たな音楽記録メディアとして前年にMD(ミニディスク)が登場していたものの、CDから音楽を移す対象としてはまだまだカセットテープが主流の頃。

加えて、当誌を購入する輩の多くは光栄ファンに違いない。それを加味するならば、人気ゲームのサウンドウェア(光栄は自社ゲームのサントラをこう呼んでた)を購入し、カセットテープにダビングして持ち歩いてた輩も少なからずいたに違いない。ともすれば付録としては悪くはないチョイスであろう。

さらに読み進めると、同社ゲームのジャケ絵をフューチャーした「錦絵コレクション」コーナーが。

(生頼先生の作画の説得力の前に、誌上は美術館の様相を呈す)

付録としてありがちではあるし、ややもすれば手抜きに見えなくもないが、「鳴物入りで登場した光栄の出版物ですよ!」というアピール感は、この上なく伝わって来る。

加えて、当時の光栄ゲームのジャケ絵を一手に担っていた生頼範義先生の超絶作画の前では、何を言っても霞んでしまうのであった。

その後のページも、光栄ファンを狙い撃ちにしたコーナーが多数。当時は顔も本名も伏せられて「謎のプロデューサー」的立ち位置だったシブサワ・コウ氏のインタビューや、人気ゲームのコミカライズ作『信長の野望』(脚本:辻真先/作画:松森正)、そして光栄が販売していたドラマCDの台本の文字起こしなど。

とまあ、光栄ファン以外にはなんのこっちゃわかるまいが、ファンならば垂涎のラインナップが続く中、途端に異色の景色が広がり始める。

誌面の半分を占める、いわゆる読者投稿のコーナーだ。と言っても、今号は創刊号であるからして、「読者の投稿」というよりは、事前告知や募集を見た方々による投稿だったわけだが。

当時インターネットという言葉はまだ出回っておらず、というかSNSやメールは勿論、携帯電話すら普及していなかった時代、情報が潤沢に行き渡る事が難しかったのだろうか、気合いの入った数名の投稿が大半を占め、かなり偏りが感じられるページ展開となっていた。

そんないびつさも、好事家目線では大いなる味わい深さなのだろうし、同人誌界隈の価値観で言えば、バラエティにあふれたとても楽しい誌面だったに違いない。

だがしかし。当時発行部数600万部越えを果たした週刊少年ジャンプを愛読し、その化け物みたいなハイクオリティさに慣れきっていた読む専の自分にとって、この『光栄ゲームパラダイス(仮)』の投稿コーナーを読む事で芽生えた感情そして感想は、ただ蒙昧に過ぎるひとことに集約された。

「こんな感じなら、俺の方が面白いネタ作れんじゃねえ?」

若さとは、無知とは恐ろしい物であるな。

かくして、人生初となる、自身の創作物について公共の誌面への掲載を目指す、いわゆる「投稿」という名のチャレンジが始まる事となった。そしてその舞台は、廃刊後20数年の時を経て、未だ(一部の好事家に)語り継がれる伝説の投稿誌。

その顛末がどうなったかは、また次回以降に。

(つづく)

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