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イースター〜ルカの福音書24章〜ゆっくり通読しよう

イエス様は予め言われたとおりに、十字架から三日目に生き返られました。

1.イエス様が甦られるまで

どうして三日目なのか、その間何があったのかと考えてみました。
十字架にかかった日、主の霊は隣にいた犯罪人を連れてパラダイスに上られました。そして、安息日を過ごしてから、次の朝働かれるために肉体に戻ってこられたということでしょうか。
天においても地においても、この安息日は、怒涛の時代が終わり新しい日が始まるその真ん中の日で、地上では夢から覚めたようにぽっかり穴の開いた放心の日であったのでないかと思いました。
弟子たちは夢中に生きた時代が終わってしまったと思っていたのかもしれません。

そして三日目はうってかわって、ざわざわと始まり大きな喜びで終わります。
朝早く、イエス様の墓の前で女性たちはみつかいに会い、イエス様のことばを思い出し信じました。
使徒たちは女性たちの話を信じなかったけれど、ペテロは空っぽの墓まで走って行きました。イエス様の復活をペテロは信じたかったからだと思います。
私が自分の罪に気づく時、イエス様の赦しがどうしても必要だと思わされるからです。

2.聖書を説き明かされる主

📖エマオへの道

エマオへの道の途中、イエス様は肉体をとって二人の弟子たちに現れたのに、どうして弟子たちは気づかなかったのでしょう。イエス様についての話をしているのに。ここを読む時、不思議な気持ちになります。
パンを裂かれ目が開かれた二人は、息が止まるほどの驚きだったことでしょう。

イエス様は、今も「愚かで心が鈍い」私を見放さず、聖書のみことばを通して、説きながらともに歩いて下さる方です。

生き物のものの目に映る世界は、それぞれ違っているし、人間の見ている世界とも違うと聞きます。だけど、私たち人間も見えていると思っているだけで、実はそれはものごとの真実の姿でないのかもしれません。
世の中にあふれるもっともらしい情報の中で、盲目にならずに、五感を働かせて真実を選びとることが出来ますように。

📖弟子たちの真ん中に来られる主

イエス様をみて幽霊だと震え上がる弟子たちに、焼き魚を食べて生きていることを示されました。
イエス様は肉体はあるけれど、弟子たちに変幻自在に現れられたことから、人間としての制約はもう受けておらないのだなと思いました。

エマオへの道を歩かれた時も、弟子たちの真ん中に現れた時も、イエス様は、ご自分に関して聖書全体に預言されていたことが成就したことを説き明かされました。聖書全体を理解することは、弟子たちが力強く進むために必要不可欠なことだったのだと思います。私たちにとっても聖書を知ることの大切さを思わされます。
この通読を続ける中で、どういうことかよくわからない時、生のイエス様が説き明かしてくれたなんていいなと思います。同時にイエス様が弟子たちに任された大きな使命を感じます。
心を開かれ聖書を悟った弟子たちに、祝福を与え、イエス様は天に上げられました。

3.絶望を希望へと変えて下さる主

♪エルサレムを離れずに、父の約束待つがよい。聖霊が降る時、あなたは力を受け地の果てまで私の証人となる♪

子どもの頃歌った歌でおぼろげながら覚えているフレーズです。
イエス様を天に見送ってから、弟子たちは大きな喜びに満たされながら、『父の約束もの』である聖霊が降る時を、エルサレムで待ちます。

約束を守られ、絶望を希望に変えて下さる神様に感謝します。

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参考---ルカの福音書24章(新改訳2017)---


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