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教えを自分の瞳のように守る〜箴言7章〜ゆっくり通読しよう

今までそこまで心に留めることがなかったのですが、姦淫についての警告に多く場所を割いていることを知りました。
それほど、若者あるいはわきまえのない人たちに姦淫は大きな誘惑となり、その罪は知らず知らずのうちに、真の神様を忘れてしまうという大きな罪につながるということなのだと思いました。

誘惑される生々しい様子が書かれています。

あるときは通りに、あるときは広場にいて、あちこちの角のところで待ち構えていた。 12節

どこにでもその誘惑は転がっているということだと思います。

この女は彼を捕まえて口づけし、臆面もなく彼に言う。
「交わりの、いけにえを献げなければならないので、私は今日、自分の誓願を果たしました。 13-15節
さあ、私たちは朝まで愛に酔いしれ、愛の喜びを互いに味わいましょう。 18節

彼女は快楽を、恥ずかしげもなく正当化し、これは「愛」なのだと言い、彼は牛のように引かれていくとあります。

最後は、矢が彼の肝を射抜く。
それは、自分のいのちがかかっているのを知らずに、鳥が罠に飛び込むようなものだ。 23節

彼はいのちがかかっていることを知らないとあります。
無知さのために真の神様から遠く離れてしまう、そのようにならないために、知恵と英知を得るようにそしてそれらを自分の瞳のように大切に守れと、繰り返し繰り返し語っています。

からだの明かりは目です。ですから、あなたの目が健やかなら全身が明るくなりますが、
目が悪ければ全身が暗くなります。ですから、もしあなたのうちにある光が闇なら、その闇はどれほどでしょうか。 マタイ6章22-23節

目、瞳は大切な器官なのですね。

引用---箴言7章(新改訳2017)---

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