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罪は生き物のようだ〜ローマ人への手紙7章〜ゆっくり通読しよう

この章では、パウロもまた古い罪の性質による弱さを持っていることを告白しています。

1.前置き

夫が死んだら、妻は律法の制約から解かれ、他の男性と結婚できるように、イエス様とともに十字架上で私たちの罪も死んだので、律法の制約から解かれ、キリストと結ばれ、実を結ぶとあります。

そこで、また再びの疑問です。

2.律法は悪者?

4 章で、律法とはイスラエルに与えられた命令で、人々をキリストに導く養育係であったと学びました。
しかし、もうここでは律法は完全に悪者のように書かれていると思い、読み進めると、次の言葉がこうでした。

律法は罪なのでしょうか。決してそんなことはありません。7 節

律法によって、パウロは罪を知ることができたと言っています。しかし

罪は戒めによって機会をとらえ、私のうちにあらゆる欲望を引き起こしました。8 節

律法のもうひとつの働きはかえって罪を引き起こすことのようです。

律法は聖なるもの、全てにおいて完璧で、全部守ることは人間には不可能です。なので、一部を守ると他の部分について、守ることが出来なくなるのだと思います。

律法の言いつけを堅く守ることによって、パウロは高慢になり、隣人愛を失い、イエス様を憎みキリスト者への激しい迫害を行いました。イエス様は神様なので、それは神様への愛を失っていることです。それこそが、最大の罪です。それを知った時パウロはどれほど悔いたことでしょう。

実際パウロが生きていて、私の指導者だったら、厳しすぎて私には無理かもしれないと時々思ってしまいます。
後悔が、パウロを動かす原動力であったのかもしれません。

3.罪は生き物のようだ

私は自分のしていることがわかりません。自分がしたいと願うことはせずに、むしろ自分が憎んでいることを行っているからです。15 節

キリストと結ばれた後でも、罪はまるで生き物のようにうねりながら心に入り、居座ります。
『罪を憎んで、人を憎まず』という言葉がしっくりきました。

パウロでさえ、善を願う自分の中に悪が存在するという原理を見出し絶えず罪と対峙しつつ、苦しんでいることがわかります。罪を罪と知っているからです。

4.だれが救い出してくれるの?

通読で福音書を読んでいた時には、イエス様と同行しているような気がしてイエス様の愛を身近に感じました。
なのに、ローマ書を読むうちにそれが揺らいでくるのも事実です。
でも、パウロは苦しんでいますが、もしイエス様をすぐに信じ同行する弟子であったならここまで特別に用いられることはなかったと思います。
神様は、悪も善に変える方です。

パウロは
「私たちの主イエス・キリストを通して、神に感謝します。」と言っています。

罪を持ったままの姿で受け入れてくださり、私たちの死のからだを命をかけてすでに救い出してくれたのはイエス様です。心に居座る古い罪の性質を退けてくれるのは聖霊です。

イエス様の愛と聖霊の助けを忘れないようにローマ書を続けて読んでいきたいと思います。

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参考---ローマ人への手紙(新改訳2017)---


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