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不正な利得を貪る者はたましいを取り去られる〜箴言1章〜ゆっくり通読しよう

ソロモンは、神様に豊かに知恵を与えられ祝されて箴言を書いた王なのに、その後偶像礼拝の罪に陥ったり、晩年に書いた伝道者の書ではすべてを「空の空」と嘆いています。
順序が逆だったら、多いに励まされるのにと思いますが、その事実をも包み隠さず書いてあるのが、聖書だなと思います。いつでも箴言のことばによって歩みを正し、ソロモンのように罪深いことで心を虚しいものとしないようにしなさいという忠告でしょうか。

主を恐れることは知識の初め。7節

アダムとエバが実を食べた木を善悪の知識の木と言ったように、知識とは、善悪を知ること、正しく見分ける力でしょうか。
知恵とは、善を行うために必要な能力なのだろうと思いました。

主を恐れること、主を主と認めることが、やはりすべての基礎なのだと思わされます。そうでないと誘惑の言葉にすぐに揺るがされてしまうからです。

誰かと一緒に何かをやり遂げ分け合うこと自体は、なんか楽しそうだし、自分が損をするよりは、得したいと思う。それが誰かのどんな損になるかということには思いが及ばない。犯罪まではいかなくともそんなことは大なり小なり生きていればあると思います。

不正な利得を貪る者の道はみな、このようなもの。それを得る者たちはたましいを取り去られる。 19節

神様は一部始終を見ておられ、やがて自分の行いの責任を取ることになる。悪を行うことは主への背信です。

主はただ見ておられるのではなく、叫び、主の霊を注ぎ、主のことばを知らせ、呼び、手を差し伸べ、叱責と忠告を与えられておられると書かれています。

わたしに聞き従う者は、安全に住み、わざわいを恐れることなく、安らかである。 33節

わざわいはあるけれど、安全で安らかであるということは、義のための闘いは避けられないけれど、御心に適い正しいということが明確ならば心は安全で安らかだということなのかなと、身の引き締まる思いがしました。

参考---箴言1章(新改約2017)---

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