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のろわれるべき偽教師〜ガラテヤ人への手紙1章〜ゆっくり通読しよう
ガラテヤ人への手紙は新約聖書の中でごく初期に書かれたものだそうです。福音書よりも前に書かれました。
1.私は驚いています
パウロは、自分が一回目の伝道旅行で福音を伝えたガラテヤの教会が、短期間のうちに、『ほかの福音』に変わっていっていることに衝撃を受けて手紙を書きました。
当時は福音書もないし、ましてや新約聖書もありません。指針となる物が何もない中で、ガラテヤの信徒たちがパウロの伝えた福音を正しく理解し守っていくことは難しいことだったかもしれません。
そして、力強く教える"キリストの福音を変えてしまおうとする者"に、ついていってしまったのではないでしょうか。
パウロは偽教師からガラテヤの信徒を守るために、自分の使徒としての正当性を主張しています。それは、パウロにとって不本意なことであったと思います。
パウロの福音は復活後のイエス様から直接啓示されたもので、イエス様が地上におられた時は行動をともにはしていませんが、十二使徒たちの語るものと合致するものでした。
パウロはかつてユダヤ教徒として極めて熱心で、旧約聖書を熟知していました。なので、ダマスコへの途上で復活したイエス様に出会い、心の目が開かれたときに、旧約聖書に書かれている教えや預言のすべてを明白に悟ったのだと思います。
もし、パウロが十二弟子とともにイエス様と行動を共にしていたら、イエス様の一番の理解者であり、イエス様がご自分のいうことを理解できない弟子たちを嘆くこともなかったんじゃないかなと思いました。
ロマ書で、パウロは古い律法に縛られぶどう酒や肉を食べない弱いクリスチャンに配慮するようにと教えていました。その人たちの前では酒や肉を控えるようにと。
ガラテヤの信徒たちも弱いクリスチャンだったと言えるのでないでしょうか。
しかし、ガラテヤ書では、簡単にだまされてしまうガラテヤ信徒たちへの嘆き、失望みたいなものを感じました。
伝道やフォローを続ける中で、人間の弱さをパウロは理解していったのかなとも思いました。
一方、教えを変えてしまう偽教師に対しては断固強い口調でのろわれるべきだと言っています。動機は自分たちが人から注目され尊敬されたいということでした。そこには良いものが全くありませんでした。
今の時代、私たちに聖書が与えられていることはすごいことだと思いました。聖書を読むことによって自分で知ることも吟味することもできます。その恵みに感謝します。
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参考---ガラテヤ人への手紙1章(新改訳2017)---
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