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カエサルのものはカエサルに〜ルカの福音書20章〜ゆっくり通読しよう

イエス様と、律法学者や祭司長たちとの白熱した論争が、表面的にトーンダウンしたように感じる。イエス様の言うことは圧倒的に正しく、しかも群衆の後押しもある。律法学者たちはたじたじで反論の余地もない。

1.ヨハネのバプテスマは?

(苦しまぎれに)「どこから来たのか知りません」
(それなら)「わたしも、何の権威によってこれらのことをするのか、あなたがたに言いません。」
の下りはなんかちょっとおかしかった。

2.しもべと息子を遣わすぶどう園の主人

ぶどう園の主人は、随分と気の長い人だった。3回もしもべを遣わし、袋叩きにされてもなお農夫たちの良心を信じ、愛する息子を送り対話で解決しようとするのだから。
神様は、旧約の預言者たちやバプテスマのヨハネと弟子たちを遣わし、イエス様を遣わされた。イエス様は農夫が主人の息子を殺したように、これからご自分が律法学者や祭司長らに殺されることを預言された。
しかし、神は憐れみ豊かな方だけど、決して人に侮られるような方ではない↓

3.捨てた石が要の石となる

律法学者や祭司長たちが十字架にかけたイエス様は全ての土台で基準である。イスラエルにとっては、宗教指導者たちの高慢のために、神様との間に置かれたつまずきの石となる。やがては敵対する者は全て粉々に砕かれ滅ぼされる。

4.カエサルのものはカエサルに

正論というより、機知に富んだ返しだと思った。ローマに屈服するかしないかを示唆した質問に、デナリ銀貨は誰のものかで答えられた。
ふと、子どもの結婚式には留袖を着ると言うとノンクリスチャンの友人に、なんで?と聞かれたことを思い出した。クリスチャンだけど日本人だから留袖を着る。クリスチャンであることと日本人であることは別の話。神様は全ての人の神様なのだから。

5.七人の夫と死別した妻

復活を信じないサドカイ人が復活のことを聞くなんておかしな話だ。
天国では、婚姻関係はないらしい。男女は完全に平等なのだろう。復活の新しい体が与えられる。イエス様は復活について完璧に肯定された。
これには、復活を信じるパリサイ人の律法学者たちは驚嘆して思わず素直に
「先生、立派なお答えです」と答えたのだろう。
でも、イエス様を信じることと復活を信じることは次元の違う話だ。イエス様に復活はついてくるが復活にイエス様は繋がらない。サドカイ人もパリサイ人も差はない。イエス様はこの章の最後に、外づらばかりいい律法学者(パリサイ人)たちに惑わされないようにと教えておられる。

6.ダビデの子

イエス様は、ダビデの子孫だ。
イエス様の突然の逆質問の真意は、なぜキリストは人の姿をとってこの世に来るのか、それはあなた方を圧政からではなく永遠の滅びから救い、命を与えるため。自分がそのキリスト、つまり救い主だいうことだそうだ。私にはキリスト=イエスだから分かりにくかったけど、当時の宗教指導者たちにはキリストとイエスは別ものだった。

全体を通して思ったことは、律法学者や祭司長たちが反抗しているものは、彼らを遥かに超え、すべてを包み込む大きな存在だ。勝ち目などあるはずがないのに愚かだと思った。
その大きな存在に、絶えず立ち返り、私に起こるさまざまな『こんなはずでなかったこと』を、何度でも委ねることができますように。平安が与えられ全てに道が示されますように。

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参考---ルカの福音書20章(新改訳2017)---


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