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神にはえこひいきがない〜ローマ人への手紙2章〜ゆっくり通読しよう

"ですから"で始まる2章は、人をさばく者への真理に基づく断罪から始まっています。さばく人もまた同じように"してはならないこと"をしていると。
神様を信じる人たちに「天に宝を積みなさい」と教えられた箇所があったけど、ここでは頑なで悔い改める心がない人が「神様の御怒りを蓄えている」とあります。
そこだけ見ると怖いですが、その前に、神様の豊かないつくしみ、忍耐、寛容についても触れられていて、神様は人間の悔い改めを心から願っていて、罪を赦したいと切に願っておられることがわかります。

1.神にはえこひいきがない

子どもの頃、イスラエルのために祈るということが不思議でした。なぜ特別にイスラエルのために祈るのだろうと。
聖書に書かれていることは、行ったこともない遠く離れた場所でのことです。自分と接点のないユダヤ人が選ばれた民なら、神様は日本人のことなどどうでもいいのではないかと思ったり、キリスト教は遠い外国の宗教のように感じることがあります。
しかし神様は、よいことに対しても悪いことに対しても、ユダヤ人をはじめギリシア人もそして全ての者をえこひいきしない、と書かれています。

律法を知っている人には律法が教え、そうでない人には良心が教えます。律法に従おうとする時、良心に従おうとする時、やはり人はその限界を知り、神様の前に謙虚にならざるを得ないのではないでしょうか。

ユダヤ人は、割礼自体に意味があり、神の民である証だと思っていたのでしょう。
しかし、割礼を受けたユダヤ人でも律法に反するなら割礼には何の意味もなく、無割礼の異邦人でも律法をわきまえるなら割礼を受けているのと同じことだとあります。
さらに、律法よりも割礼よりも、主を信じ御霊を心に持つことこそが、意味のあることだと書かれています。

厳しい内容でしたが、私はこの章を異邦人の立場から読んでいたようです。
神様は、イスラエルから遠く離れた日本に住む私たちにも親しい存在で、等しく神の民としてくださる方なのだと感じました。

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参考---ローマ人への手紙2章(新改訳2017)---


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