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芝居の神が降りてくる瞬間       The Motive and the Cue


『「芝居ハムレット」の稽古場の芝居』の映画

NTLの"The Motive and the Cue"を観てきた。
実際の舞台をそのまま映画にする”ナショナルシアターライブ”の作品。
1964年にNYで上演されたリチャード・バートン主演『ハムレット』の
稽古初日の本読み場面から初日にいたるまでの風景を演劇舞台化したもの。

芝居の、芝居を、映画にしたという三重の入れ子構造で、
役者も、
 -ハムレット
 -を演じるリチャード・バートン
 -を演じるジョニー・フリン
と入れ子状。
実際に上演されているところを撮影しているので、映画を観たというよりも、舞台を見に行ったような感覚。


ぶつかり合う対立と葛藤

"The Motive and the Cue"の幕があがると、
舞台は稽古初日の顔合わせ。役者たちが次々に集まり、自己紹介をし、本読みがはじまる。ハムレットの冒頭、城壁の歩哨交代のシーン。

稽古が進むにつれ、さまざまな衝突がではじめる。
韻を踏んだセリフを聞かせるシェイクスピア劇王道を志向する演出家サー・ジョン・ギールグッドと、現代的なシェイクスピアを志向する主演リチャード・バートン。

ギールグッドはかつては演劇人として高い評価を得つつもすでに過去の人となっていることを自覚している。現代的解釈をと芝居素人のバートンに言われ、「どうぞ」と弱腰になる。
かたや、映画スターとして絶頂期にいるバートンは、スタートしての強烈なプライドと同時に、”高尚”な演劇での経験がなく演劇でのキャリアを切望すると同時に、自分にできるのかという不安を抱えている
ギールグッドを尊敬し指導を乞いたいと思いつつも、自分の演技にダメ出しをするギールグッドに猛反発する

”サー”が付くギールグッドと、炭鉱の町で育ったバートンは生まれ育ちも正反対だ(*二人の発音も、それぞれの育ちを示している)


追い詰められる二人

舞台初日までのカウントダウンが迫ってくるなか、
ギールグッドもバートンも焦燥感と不安に駆り立てられ、稽古場は崩壊する

ゲイであるギールグッドは男娼をホテルに呼ぶものの、相手に対して高圧的な態度しかとれない。男娼はそんな彼の心を見通し、優しくハグ。母親のようにハグする男娼の胸で泣きじゃくるギールグッド(このシーン、心うたれました)

バートンは、役者仲間から「こんなことになったのは、あなたの”エゴ”が理由だ」と痛いところを突かれる。バートンの妻エリザベス・テイラーは見かねて、ギールグットとバートンの間をとりもとうと動く


重なり合う3人の父

そして、二人になるギールグッドとバートン
ぽつり、ぽつりと話ながら、互いの”話していなかったこと”が開かれていき、やがて話は互いの過去、家族、父親へと移る

ギールグッドは、祖母、妹も女優、彼自身は10代から王立演劇学校で学んでいるが「株式仲買人だった父は 平均的で凡庸。息子が同性愛者であることを理解しているとは思えない」とひややかに語る
バートンの父はアルコール中毒の炭鉱夫で妻の死後、育児を放棄。バートンは叔母一家に育てられる。「父親と一緒に若いころのギールグッドの芝居を観た」と冒頭に話していたのは嘘だった。


神が降りた瞬間

バートンは、そんな父親を観てきた自分に、
「(父親の仇をうつ)ハムレットはできないかもしれない」
と不安を吐き出す

「ハムレットが父を愛していなかったとしたら?妻を弟に寝取れらるような父親を尊敬していなかったとしたら?」
と、ギールグッドが口にする。

「そんな父に自分の復讐をしろといわれたのだとしたら?ハムレットは復讐を決断する勇気がなかったのではなくて、復讐する理由が持てなかったとしたら?」

バートンはそこで呟く「to be, or not to be」
ギールグッドが呟く「AH・・・question」
2人は初めて今回の芝居の骨格、彼らの”ハムレット”にたどり着く。
芝居の神様が二人のもとに降りた瞬間だ。


巨大なエゴと不安、その果ての解放

見事の一言。
演劇が好きな人、芝居をやっている人にはたまらない映画だろうと思う。

自分が大好きで、自己顕示欲の塊で、なのに自信がなくてヒリヒリした焦燥感にいつもかられている一族というのが、私の持つ演劇人のイメージだ。
芝居を通して巨大な自我を解放し、他の誰かになり、演じた誰かを自分の中にまた取り込んでいくような、そんなプロセスにも見える。常に自分の見たくないものを直視し、さらけ出さないと、その先の解放はやってこない。因果なものだと思うが、同時に、芝居は、一度やったらやめられないというのも、事実だろうと思う。


The Motive and the Cue

タイトルはハムレットのセリフから生まれている。
本作では、以下のように語られる。

”Motiveは動機。動機は役の背景。思考力と判断力に作用する
Cueはきっかけ。きっかけは激情。心に火をつける内なるスイッチだ
どう演じてもいいが、MotiveとCueからは逃れられない”

演劇によらず、何かを創造することすべてに共通することととらえた

三谷幸喜が絶賛したこともあり、上演期間が延長された。
ご興味のあるかたはぜひ


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