好きと嫌いは紙一重。

コンクールって、何。

中学から始めた吹奏楽。そしてチューバという楽器。わたしは吹奏楽が大好きで、吹奏楽部の仲間が大好きで、だから学校に通えている。もし吹奏楽部がなくなってしまえば、わたしはこの学校をやめているだろう。今でさえ検索履歴には「○○県 通信制高校」というワードが残っている。吹奏楽は、わたしを学校という苦しい場所に繋ぎとめる鎖。


わたしはこの部活の顧問が好きだ。顧問は音楽の担当ではないので、コンクールなどの式は外部コーチがしている。彼がまた良い人で、わたしたちの学年に期待を寄せていることが伝わる。わたしたちは、顧問が言った「みなさんとは長い付き合いになると思うので」という言葉と、コーチが言った「みなさんには来年以降いい思いをさせますので」という言葉。この「来年以降」というのは、わたしたち1年生が、今年のコンクールには出なかったからだ。この学校では、コーチの意向で部員が48人にならなければ2年生と3年生でB編成のコンクールに参加している。県大会で金賞を取り、支部大会に進んだ先輩たちだったが、練習に来ない3年生も多かった。わたし含め1年はそれがショックだったし、来ない3年生を巡って1年の中で亀裂が生まれたこともあった。せっかく支部大会に進めるのに、なんでこんなに練習せずにいられるのだろうかと、来てる3年生もいるのにと、悲しくて苦しくて悔しかった。合うわけないじゃん、曲だって。それなのに、それなのに支部大会では、金賞を取ってしまった。東日本大会には進めない「ダメ金」だった。去年は支部大会銀賞だったから、練習に来ない人もいたから、今年はダメだと思っていたが、まさか金賞を取るなんて。

3年生にとっては都合が良いんだろうなあ、この結果。大学進学の際には「吹奏楽コンクールの支部大会で金賞を取ることが出来ました」と言えるし、そしてもう部活を引退することができるし。
嬉しいことにチューバの3年生は部活に来てくれた。いつもいつも練習に励んでいたし、わたしは3年生と話すのが好きだった。
学校にチューバが3台あるにも関わらず、先輩2人は3年生だ。そしてわたしは1年生。3年生が引退した瞬間に、わたしは1年間、チューバ1人でやっていかなくてはいけない。寂しいなあ。ファゴットやコントラバスも、3年生が引退したら1年生だけになってしまう、それも両方初心者。わたしは経験者だから比較的良いものの、やはり先輩がいなくなるというのは不安でしかない。バスパート、大丈夫だろうか。

話が脱線してしまった。
わたしは、このコンクールの結果に疑問と申し訳なさを感じている。申し訳なさというのは、必死に練習していたであろう他の学校の人へ向けてだ。こんな、こんな練習してないのに、金賞取って喜んで、本当に申し訳なかった。
そして疑問。コンクールの評価なんて審査員の好みではないのだろうか。友達と話していたのだ。
「コンクールなんか結局審査員の好みだよ」と。

「響け!ユーフォニアム」という、高校の吹奏楽部を舞台にしたアニメで「審査員の好みで決まるでしょ」というセリフがある。わたしと、友達はこの話をしていたのだと思う。響け!は吹奏楽部員の心に刺さる。このセリフを言った子は、コンクールが嫌いだったのが、好きになっている。でも、わたしは、逆だった。
好きだったコンクールが、嫌いになった。
それでも完全に嫌いになったわけではない。好きだけど、好きだけど嫌いだ。なければいいとも思うけど、なくなったら吹奏楽は終わる。と思っている。

好きだけど嫌い、って複雑で、苦しい。わたしにできるのは、来年と再来年、コンクールで今年よりも良い成績を取る。3年生になっても部活に来る。わたしは、全てを犠牲にしても吹奏楽をしたい。この学校は一応進学校だが、勉強嫌いのわたしには合わないので、勉強の価値が分からないので、それなら吹奏楽を、チューバを、死ぬ気でやるしかない。わたしはチューバ奏者になりたかった。でもなれないだろうなってことは勘づいてる。だから頑張る。
わたしは全てを吹奏楽に捧げる。勉強も出来ないくせになんて言われても構わない。苦しくなったら、そのときはそのときで、また考える。

結局、コンクールで願いを果たせるように、必死になるしかないのだ。わたしには、それしかできない。上手くなる。それが全て。コンクールの好きと嫌いが混ざってドロドロになろうが、求めるのは結果と、大好きな仲間との大切な時間。

甘ったれたことなんか言えない、言わない、上手くなるために、もがき苦しめ、わたし。


初めての投稿なので、とてもつもない駄文ですが、どうか誰かに伝わればいいなと願っています。

#吹奏楽 #チューバ #エッセイ #もどき #女子高生

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