インドネシア独立について

このテーマは知る人ぞ知る、というものかもしれない。

かつて日本が戦った大東亜戦争と呼ぶ先の大戦後に起こったアジア・アフリカの独立。
日本は明治以降欧米列強の植民地主義と戦い、最終的に敗戦した。しかし結果としてアジア・アフリカの植民地は独立していった。

今回の大雑把な説明の中には様々な突込みがあると思う。
太平洋戦争ではないのか?
日本軍がアジア侵略したのではないか?
戦後の教育では上記が定説となっているから疑問に思うかもしれない。
しかし歴史的に時系列を追っていくと、様々な矛盾に気づく。

まず日本が戦っていたのはアメリカだけではない。
アジア全域を植民地支配していた主に欧州諸国に対して宣戦布告した。
いわゆるABCD包囲網と呼ばれる国だが、
Aアメリカ、Bイギリス、C中国、Dオランダ
を相手としている。
その主な植民地を考えると戦争地帯はアジア大陸、東南アジア諸国となる。そのため地理的に大東亜が主戦場であり、アメリカと対峙していた太平洋だけではない。

アジア侵略については難しい問題で、国内に二派存在していたことが主な理由になる。
日本が日清、日露戦争に勝ったことで調子に乗った日本人がいたことは事実であり、彼らが西欧諸国と同様の帝国主義に走った感は否めない。しかし一方で「アジア主義」と呼ばれる人達が孫文らの中国革命を助け、アジア各国の独立の志士を匿い養育し、彼らが各国のリーダーとなって独立していった文脈もある。
インドネシアにおいては約350年オランダに支配されていた。
その間に独立するチャンスや要素はどこにもなかった。
転換点となったきっかけとして存在する要素は「日本軍がオランダ軍を駆逐した」という具体的現実的な武力要素となる。
日本軍はその後資源確保のために、大本営はインドネシア独立を認めなかった。しかし独立のための義勇軍を設立し、軍事力を養った。ここに他国と異なる大きな差異がある。もし日本軍が新たな統治者となるなら諸刃の刃となる軍の設立はしないはずだ。もちろん利害損得も考えての行動ではある。しかし日本は本音と建前の様々な葛藤を抱えながら、インドネシアの独立の戦力を養った。残念ながら大本営という日本本体の行動ではない。一方で日本は総力研究所を設立し、各領域の専門家を集めて戦争の行方を算出したが「必敗」であることを事前にはじき出していた。つまり、巻き込まれて中途半端に始めてしまった日中戦争と対アメリカは致し方ないにしても、それ以外は戦力を割くこと自体さらに不利な状況を作る。にもかかわらず戦線を拡大したのは、アジアからイギリス、フランス、オランダなど欧州列強を植民地から駆逐し、且つ自分達も敗戦によって引くことを想定していないと出ていく意味が見出さない。

今回軍事力以外の要素について触れていないが、
国家の独立はあくまでその国の物であり、その国の成果であることが肝要だ。当時も「与えられた独立であればすぐに奪われる。自分達で戦って独立しろ」という敢闘精神を徹底していた。
それはつまり自分達が占領統治するつもりであれば教えている生徒達に、自分達を倒してでも独立するのだ、といっているようなものだ。
強固な師弟関係を、信頼関係を築き上げながら、敗戦に向けて様々な苦難と衝突を迎える。

詳細を書く時間はないが、「インドネシア独立」の中に、欧米植民地主義の意図、支配のポイント、植民地脱却のノウハウ、日本独立のヒントが隠されているのかもしれない。


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