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【北大阪環状モノレール】第3回 駅が計画されている地域の状況(その2)

2023年暮れに茨木商工会議所より発表された「北大阪環状モノレール構想」。突如発表された新路線構想に世間の注目が集まりました。
人口減少、運転手不足など、都市部といえども公共交通の経営困難がいわれる中で出されたこの構想は、これからの地域交通、さらには地域のあり方を改めて考えるきっかけになるものではないかと思っています。
どのようにすればこの構想を実現することができるのか。
数回にわたって、この構想の概要、計画地域の状況を紹介するとともに、この構想を実現させるためにどうすればいいのか、考えてみたいと思います。


「北大阪環状モノレール構想」の中では8つの駅が示されています。駅ができるとされる地域はどのような場所なのか、第3回では、前回の続き、彩都西さいとにし駅からJR茨木駅までの状況を見ていきたいと思います。


構想の中で駅の開設が予定されている地域の状況(その2)

<出典>北大阪環状モノレール構想ホームページ

彩都西さいとにし

彩都西は2004年に町開きした国際文化公園都市、彩都の中心といえる場所です。周辺には大規模なマンションが建ち、幼稚園、小中学校が開校しています。商業施設、金融機関もオープンし、新しいニュータウンとして賑わいを見せてきています。
彩都西には、彩都の特徴の一つであるライフサイエンスパークと呼ばれるエリアがあり、生命科学の研究開発に関わる研究機関などが集まっています(下の図・表を参照)。
彩都の外にはなりますが、周辺の箕面みのお市側には、移転した大阪大学外国語学部(旧大阪外国語大学)の跡地があります。同地では現在、民間企業によりデータセンター、学校施設、交流施設、店舗、公園・緑地、回遊街路等の整備が進められています。
彩都西には2007年に大阪モノレール彩都線が開業し、豊中市の千里中央まで約20分で結ばれています。大阪モノレール彩都西駅の1日の状況客数は約8,800人です。
当初、大阪モノレールはここから先、彩都東部地区、先ほどの山手台サニータウンに近い場所まで延長される予定でしたが、利用者が見込めないとして計画が中止されています。

彩都西周辺
大阪モノレール 彩都西駅前の様子
<出典>Wikipediaより
Bergmann - 投稿者自身による著作物, CC 表示 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=100039937による
大阪大学外国語学部
撮影当時は大阪外国語大学。手前は大阪モノレール彩都線
<出典>Wikipediaより
Bergmann - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=97271396による

【コラム1】「彩都さいと」(正式名称:国際文化公園都市)

彩都とは千里ニュータウンや万博記念公園の北側、大阪都心部から約20㎞の、茨木市から箕面市にかけての北摂山地で開発が進められているニュータウンです。開発地域は、西部地区(313ha)、中部地区(63ha)、東部地区(367ha)の合計743haに及びます。
開発の歴史は、1986(昭和61)年に大阪府が「国際文化公園都市基本構想(案)」を発表したところまでさかのぼります。2000年代以降、まちづくり工事が本格化しました。2003年には宅地分譲が始まり、すでに触れた通り、2007年には大阪モノレール彩都線が彩都西まで開通しています。
彩都はベッドタウンとしての機能だけでなく、文化学術、研究開発、国際交流、産業集積などの機能が、まちづくりの中に組み込まれていることが大きな特徴です。
また、開発事業には大阪府やUR(都市再生機構)に加え、阪急阪神グループ企業、関西電力グループ企業など民間企業も加わっています。
彩都は1970年代に開発された既存のニュータウンである、箕面市の粟生間谷あおまだに住宅、茨木市の山手台(茨木)サニータウンとも隣接しており、高齢化が進む既存ニュータウンの活性化にもつながるのではないかとの期待もあります。

彩都の主要な交通機関となっている大阪モノレール彩都線

彩都西からJR茨木間

「北大阪環状モノレール構想」では、彩都西からJR茨木駅まで駅の予定は記されていません。しかし、この区間には春日丘といった古くからの住宅地や、1923年に開設された100年の歴史を誇る名門ゴルフコース、茨木カンツリー倶楽部があります。
また、市境をまたいだすぐの吹田市側には大阪大学吹田キャンパスや万博記念公園があるほか、茨木市側にも大学、高校が多数あります。
彩都西からJR茨木の間には複数の駅が設けられことになると思われます。

茨木市内の高校と周辺の大学など
松沢池と周辺に広がる春日丘の住宅地
<写真提供>茨木市観光協会(ホームページより)

JR茨木駅

JR茨木駅は、茨木市の玄関ともいえる駅で1日平均乗降客数は約8万3千人です。茨木市内では最大の乗降客を数えます。

JR茨木駅周辺
JR茨木駅バスターミナル

JR茨木駅の次は、出発した南茨木駅に戻りますが、JR茨木駅と阪急南茨木駅の間には立命館大学の大阪いばらきキャンパスや、大型商業施設のイオンモール茨木があり、駅が設けられることになると思われます。

立命館大学 大阪いばらきキャンパス
<出典>Wikipediaより
Tokumeigakarinoaoshima - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=85663670による
イオンモール茨木
手前の道路は府道14号大阪高槻京都線
出典>Wikipediaより
Tokumeigakarinoaoshima - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=85631227による

JR茨木駅と阪急、大阪モノレールの南茨木駅が「北大阪環状モノレール」によって短時間で結ばれ一体化すると、両駅合わせて1日の平均乗降客数が約14万4千人となり、新しい大きな人の流れが期待できます。


【コラム2】北摂は京阪工業地帯でもある

北摂には内陸部にも関わらず、明治のころから現在に続く大手企業の工場が、多数進出しています。沿岸部の阪神工業地帯と合わせて、京阪神工業地帯と呼ばれることもあります。
北摂に工場が進出する理由として、北摂が大消費地の京阪神の一部であることや良質な地下水を得られたこと、原料や製品の輸送に便利な東海道線(JR京都線)が通っていたことなどが考えられます。
今も続く有名な工場として、1887(明治22)年に現在の吹田市に進出した大阪麦酒會社(現在のアサヒビール)吹田工場や、1923(大正12)年に現在の島本町に進出したサントリー山崎蒸留所、1958(昭和33)年高槻市に進出したサンスター高槻工場などがあります。
茨木市には1958(昭和33)年に松下電器(現在のパナソニック)茨木工場が進出し「ナショナル」ブランドのテレビの製造拠点として長く親しまれました。1986(昭和61)年には同工場をダイアナ元英国皇太子妃が視察に訪れています。この工場は2012(平成24)年に操業を停止し、閉鎖されました。跡地はヤマト運輸の物流拠点となっていますが、松下町という地名が残っています。
立命館大学大阪いばらきキャンパスや、イオンモール茨木も大規模工場の跡地でした。立命館大学はサッポロビール大阪工場の跡に、イオンモール茨木は日本専売公社(現在の日本たばこ産業)大阪工場の跡にそれぞれ建っています。


前回に引き続き、今回も「北大阪環状モノレール構想」の中で駅が計画されている地域の様子を見てきました。
駅が計画されている場所の様子を見ていくと「北大阪環状モノレール」の沿線には、それなりのポテンシャルがあるということが見えてきたのではないでしょうか。
次回は「北大阪環状モノレール構想」を取り巻く状況についてみていきたいと思います。


参考情報

北大阪環状モノレール準備室ホームページ



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