20230712 日録(訃報、悪役令嬢のポテンシャル)

訃報を目にして


 りゅうちぇるが亡くなった。本当に大きな衝撃を受けている。高校生の頃からぼんやりと好感を持っていたタレントで、テレビでその非ストレート的振る舞いを見るたびに(陳腐な表現だけど)勇気をもらっていた。当時の私は自分のセクシャリティを隠蔽することに必死で、今思うと本当に見苦しい振る舞いを重ねていた。あの頃の私にとって、りゅうちぇるは可能性そのものだった。私はあのようにはなれないが、あのように生きて喝采を浴びている人間がいることがただただ嬉しかった。上京してテレビを見なくなり、その活躍に接する機会は少なくなったけれど、好感は持続していた。ここしばらく、婚姻規範を強固に持つタイプの人々に猛烈な攻撃を受けていた印象があり、その手の「批判」を目にしたくないがために、私は意図的にりゅうちぇる関連の話題を回避していた。
 そして今日、量販店からの帰り道、プッシュ通知で訃報を知り、足が止まった。
 幸福に生きて欲しかった。

その他雑記

ゴジラの新作の告知が出ていた。
見たアニメ:幻日のヨハネ1話、呪術廻戦懐玉・玉折1話、夫婦交歓2話、ラスボス女王1話

 呪術、横綱相撲。ハッとするようなシークエンスが多く、何度でも見直したい。洋館の崩壊シーンとか、洋館の過去映像とか。
 ラスボス女王、「悪役」時代の令嬢が本当に卑劣で良かった。また、「未来予知」という装置を導入することで、「乙女ゲームのストーリーを知っている」ということが、単に「チート」なだけでなく実存的意味合いを持つのだ、ということを強調しているのが面白い。
 ただ、これは一般論でもあるのだが、悪役令嬢として生きていた過去の自分の生をもまた自分の生として受け入れるということ、そのことがどのように内面的に経験されるのか、というあたりの話をしっかりと描いてくれないと、悪役令嬢ものの秘めているポテンシャルが発揮されないまま、単なる類型的な話として消費されてしまうよなあ、ということを思う。悪役令嬢としての生にも固有の実存的文脈があったはずで、「過去世」の文脈のみに着目して悪役令嬢としての生をRTAぐらいにしか思わない(にも関わらずなにやら民草の幸福のために尽くしたりする)のを見ると、資源の無駄遣いを見ているようで、すごく勿体無いな…という印象に駆られる。
 (あんまり悪役令嬢もの読んでないのにこういう話するのはアレだが)私が知る限りでその辺の話に(一瞬)肉薄した作品としては、『この世界の顔面偏差値が高すぎて目が痛い』が挙げられる。基本的にテンプレ通りの作品で特におすすめもしないが、すでに「好感度」が上がった後の攻略キャラたちが(「前世を思い出した」後の主人公を指して)「もしあれが妹でない何かならば殺さねばならない、俺たちはあのわがままだった妹を愛しているから」という旨のことを述べるくだりがあり、そこはすごく良かった。悪役令嬢にも「生きられた」生があり、一つの人格として確かに存在していたのだ、ということに視線が向いている気がして…(何度も言うが悪役令嬢ものを数読んでないので、これもテンプレ表現かもしれない)


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