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大阪市立東洋陶磁美術館 ~浪速の夢~

思えば青磁という言葉は「どうぶつの森」で知った。「せいじのつぼ」という名前で、子どもの身丈程の水色の壺が家具として登場する。それをきっかけに私は「青磁って焼き物があるんだなあ」ということを学んだ。その後しばらくして「太閤立志伝V」をプレイし、馬蝗絆や千鳥の香炉なども知った。関心があればゲームや漫画からでも学べるものはあるし、関心がなければ教科書を読んでも身につかない。などとゲーマーなりに擁護してみる。

さて本題。青磁のことは「どうぶつの森」で知ったが、青磁の美しさは「大阪市立東洋陶磁美術館」で身をもって分からされた。頭と目の間にはかくも大きな隔たりが存在するものである。

淀屋橋駅でメトロを降り、淀屋常安の淀屋だなあなどと太閤立志伝仕込みの知識を反芻しながら橋を渡って同館へ向かった。同館のことや安宅コレクションのこと、現在開催中の特別展については例の如く下記リンク先や他の人の説明を各自参照されたし。


青磁瓶(高麗時代・12世紀前半)


飛青磁花入(元時代・14世紀)

私が今回見た中で最も心惹かれたのは12世紀前半の高麗で焼かれた青磁の瓶である。優美な曲線、端正な造形、どこかメランコリックな青色。中国は元時代の飛青磁花入に似た形をしているが、鉄斑はなく青色も淡く、目に静かである。景色に富んでいるほど好もしい、優れているという価値観に私は同意しかねる。これ以上何も削ぎ落とせない洗練、ミニマルな美しさをこそ私は喜ぶ。なお、件の飛青磁花入の方は鴻池家の伝来品なのだが、鴻池家の始祖である鴻池新六は「我に七難八苦を与えたまえ」で知られる山中鹿介の子孫だという。


青磁象嵌草花文三耳壺(高麗時代・12世紀)


青磁陰刻蓮華文三耳壺(高麗時代・12世紀)

それにしても高麗の焼き物というのは実に真面目である。象嵌にせよ陰刻にせよ仕事が緻密で、作行に品を感じさせる。李氏朝鮮時代の、俗に李朝と呼んでいる焼き物の上手物にしてようやく太刀打ちできるかどうかという水準である。李朝というと素朴で大らかでケンチャナヨなイメージがあるが、その中には民間で用いられたものもあれば王宮で用いられたものもある。求められる水準の異なる両者を「李朝」の一言で一緒くたにするのはあまりに乱暴であるように思う。


粉青印花菊花文四耳壺(朝鮮時代・15世紀)


粉青線刻柳文長壺(朝鮮時代・15世紀後半〜16世紀)

上の四耳壺は宮中向けに焼かれたというが、細やかさと大らかさが同居していて高麗青磁とは異なる魅力がある。対して下の長壺は民藝の愛好家がいかにも好みそうな李朝らしい李朝である。優劣を論じるつもりはないが、前者は王宮のように内装もその他の調度品も選りすぐった環境に配されてこそ調和し、その魅力を100%以上発揮するだろう。それに対して後者はそうでない、もっといい加減で雑然とした部屋にこそ似合う。都会のネズミと田舎のネズミよろしく、馴染む場所に置かれてこそ使う人も使われる焼き物も幸福なのだ。


黄地紅彩龍文壺(「大明嘉靖年製」銘)
いわゆる「五爪の龍」であり
嘉靖帝のために焼かれた磁器であることが分かる

うかうかすると忘れがちだが、焼き物の価値尺度には少なくとも審美性と経済性の2つが存在する。王侯貴族が「とにかく美的に優れた、技術の粋を結集した焼き物」を求める時、作業工程の複雑さや歩留まり(不良品の少なさ)を気にするだろうか。逆に不良品が多いほど、作業難度が高いほど作品の価値は高まり、彼らはむしろ喜ぶだろう。新潟の石油王と呼ばれた中野忠太郎は魯山人に萌葱金襴手の製作を依頼した際「金に糸目は付けない」と言ったという。ルネサンスやオランダ黄金時代、安土桃山文化などはいずれも経済的な豊かさを背景として成立したことを思えば、高麗青磁の真面目さもまた同じようにして育まれたのではないのだろうか。


館内の装飾にも蓮華文が用いられており芸コマ

館を後にし、北浜駅へと向かう道すがらに「木村長門守重成表忠碑」と刻まれた石碑を見つけた。木村重成と言えば豊臣秀頼の乳兄弟で、大坂夏の陣で奮戦するも討たれた武将である。この辺りで討たれたのかと思い文明の利器を取り出して調べてみるとそうではなく、かつてこの場所に豊國神社があり、この碑も元々はその境内に建てられていたのだという。神社の方は戦後になって大坂城内へと遷座したけれど、碑だけはそのまま元の場所に残されたまま現在に至るようである。

中之島を拓き天下の台所の礎を築いた豪商の淀屋も今は地名に名を残すばかり。その中之島に在する東洋陶磁美術館の中核たる安宅コレクションの元の持ち主である安宅産業も破綻して久しい。往時の創業家とその側近らは「安宅ファミリーでなければ人ではない」とばかりに権勢を振るったそうだが、その末路は「ただ春の夜の夢の如し」。太閤秀吉もまた辞世の句に「浪速の事も夢のまた夢」と詠んだ。

浪速の夢は黄粱の夢。されど夢なればこそ。私もかの盧生の如く、いつか夢の覚める時が来るまで真に生きたと言えるほど生きたいものである。


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