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超教育協会 第76回オンラインシンポ 小松純也さんが語る「教育とエンタメの違いがわからなくなった件」

毎週水曜日12時から開催されている「超教育協会」のオンラインシンポジウム。

2022年1月19日のゲストは、「チコちゃんに叱られる」などをはじめとする人気番組のプロデューサー小松純也さん

教育とエンタメの違いがわからなくなった件」というテーマでお話しされました。ファシリテーターは、超教育協会理事長の石戸奈々子先生です。

小松さんがコンテンツを作る時に考えておられることは、僭越ながら、僕が幹事として心がけていることや、コミュニティに携わる際に意識していることと重なりまくりでした。

【ポイント】
伝えたいことがある。
でも、それを「説明」してはだめ。
心の中で物語を立ち上がらせる。
これはエンタメも教育も同じ

ということでこの学びを独り占めするのはもったいないので、メモをおすそ分けします。聞き漏らしや、メモの取り間違えなどがあるかもしれませんが、ご容赦を!

エンタテインメントビジネスは心の動きを作っている

エンタテインメントビジネスとは、ときめきを伝えること。
生きてきた経験をなぞることで、聞く人の中に物語が立ち上がるように、心がけてきた。視聴者に感情移入させるためには、物語を自分事にしてもらうこと。今でいう「ナラティブ」。そのコンテンツに接することで、相手の心の中に物語が立ち上がるようにしている。

「チコちゃんに叱られる」は、日常のふとした疑問を採り上げている。
例えば「なぜ地球は回っているの?」。地球が回る、だから朝が来て夜が来る。これはみんな知っている。しかし、地球が回っている理由を聞かれると、みんな愕然とする。問われると「知らなかった」が、自分のコンテキストとして立ち上がる。ちなみに地球が回る理由は、かつて宇宙でチリが集まってできた地球に隕石がぶつかり、くるくる回り出したことが、惰性が続いているため。

このように「知らなかった」によって、自分がかつてそういう経験をした「後ろめたさ」を引き出し、解決する。その快感を、心の中の出来事を、いかに演出するかが大事。

ラフアンドピースマザーでの教育事業で気づいたこと

今、ラフアンドピースマザーで、教育に携わる機会がある。

その一環で豊川市で開催された「全国理科教育大会」に参加した。そこで先生がお話しされていたことは、まさしくエンタメのコンテンツ作りと一緒だった。

実験をやるにあたり、壁にぶつかるように演出しているとのこと。そうすると子供達は「では、どうすれば?」を探求したくなる。それを乗り越えて成功、を意識しているらしい。この「じゃあ、どうすれば??」と考える機会が大事。言われるがままではだめ。「獲得する」という物語を演出する。

小2の娘が九九を習っている。先日、父兄会でその授業が再現された。
マッチ棒が並んでいる絵(マッチ棒を複数本使って、四角形が4つ描かれた絵を見せながら)「何本ありますか?」と問われた。

子供たちは4×4で16本!と答えるが、一部の辺が重複しているのでマイナス3本で13本が正解。このように、子供たちがそれまで学んできた脈絡を逸脱させ、前のめりになる導きを作って、教えている

エンタメもそう。伝えたいことがある。でも、それを説明してはだめ。心の中で物語を立ち上がらせる。これは教育も同じ。大人から子供に伝えたいことがある。その時に、どうすれば子供たちが前のめりになるか、スイッチをどう入れられるか。その際に、今後はデジタルで教育が肝になる。

ときめきと何か

エンタメも同じ。「ときめき」を共有している。では「ときめき」とは何か?人の心が動く仕組みとは何か?

チコちゃんで「子供たちが街の縁石を歩くのはなぜ?」というお題があった。その答えは「己の限界に挑戦して、能力を高めるため」だった。子供は生まれてしばらくすると、歩けるようになる。しかし、ただ道を歩くのは、退屈になる。そこで、試しに角材を置くと、その上をバランスとって歩く。

縁石に上ることで、子供たちはギリギリの限界に挑戦しているのだ。これにより「フロー感覚」を味わうことができる。集中力が高まり、能力以上のことができるようになる。スポーツなどでいう「ゾーン」に入る状況。集中力hが高まると恍惚感を覚える。このような「ワクワク」にひかれて、縁石に登るようなことをする。

子供たちはわくわくをするようにプログラムされている。大人にもある。自分も、横断歩道の白いところを踏んで渡れると、いいことがあると思って渡ることがある。しかし、大人の限界がある。それは「経験の限界」。

人は「やったことないこと」をやると、わくわくする。例えば「聞いたことないけど、銀座の有名なすし屋に行く」のと「聞いたことあるけど、行ったことない寿司屋に行く」では、どちらがワクワクするか。

先程の子供の例で言うと、板の上の次にロープを渡る、はない。なぜならば、できないと思ってしまうことだから。「ワクワク」には「自分でもできる」と思うことが大事。

パリに行ったとする。ルーブル美術館に行く。モナリザを見るとする。ワクワクする。それは「知ってる」けど「見たことがない」から。ところが「ドラクロワの墓場の少女」を見るとする。たぶん、ワクワクしない。なぜならば、すごいものかもしれないけれど、知らないから。

聞いたことがあるものや、ちょっと知っていることの方が、わくわくする。枠と言う限界を超える、知識の限界を乗り越えるのがチコちゃん。

チコちゃんでこんな問いがあった「さよならって、なんで手を振るの?」。いつもやっているけど、なぜか知らない。こうした「ぎりぎり」を問う。自分事にする限界を問う。自分事を乗り越える「フロー感覚」が、知識が広がる快感につながる。教育も自分事で意識する限界を乗り越える、これがときめきの神髄。そういう感覚を子供たちに提案することに取り組みたい。

ラフアンドピースマザーの教育

タブレットやスマホなどの「タッチパネル」が前提。関わり始めた頃は、面白い教育番組を作れば??と思っていたが、違う。タッチパネル前提では、作るものが変わってくる。

面白い算数の授業が考えられる。テレビでが、今までは「1+2=3」を教えるとすると、問題を15秒見せて、生徒は考え、先生が出てきて「答えは3」と出す。では次、と進む。できないと置き去りになる。

タッチパネルであれば、答えるボタンを押すがあれば、答えが出るまで考えられる。間違えたら、もう一度考える。時には「ヒント」とかがあれば、自分のペースで時間をかけて学べる。このように視聴体験をカスタマイズできる。そして、置いてけぼりを作らない。

スマホにはカメラがついている。これも使える。子供がタッチパネルでブロック重ねる。部屋にCGのドローンを飛ばす。そのブロックにドローンがぶつかって落ちたりする。娘にやらせてみると「面白い!ゲームみたい!」と言う。

娘は「にゃんこ大戦争」が大好き。娘には「ゲームをやっている時の楽しさ」が、わかりやすいコンテキスト。娘の楽しさの文脈は、ゲーム。それ以上の楽しさをどうやって踏み込んで作るか、がポイント。

例えば、ぶつかるものを母親の顔にする。「早くしなさい」「勉強しなさい」などいつも言ってるセリフを話している。そこに激突する「わるふざけ」を仕込むこともできる。子供たちが日頃、親に抑圧されている体験も活かす。「ふざける」を否定しない。どうやって取り込むか、推進に活かせるかを考える。ナラティブの方法は、ゲームからも学びたい。

教育のラインナップ

こうした「インタラクティブ」は、手元のオペレーションでは伝えきれない。インタラクティブの逆はリニア。「リニア」とは、時間とコンテンツが一緒に進む形態。いわゆるテレビ番組や映画など。「リニア」は、今あるものが、なぜそうなっているのかなど、歴史などを教えるのに向いている。

研究者の研究をショートカットして伝えるのにも、向いている。例えば、化石を掘りにいく疑似体験。すぐに採掘するのではなく、まずは山が遠くに見える場所から撮り始める。これにより「採掘場所は、どんなところだろう?」という気持ちが立ち上がる。これは、常套的ナラティブの作り方。

また「集約する」ことにも向いている。今、ラフアンドピースマザーでやっているのは「十八番の話」の収集。各界でご活躍の研究者やスポーツ選手など、いつでもどこでも、面白そうな人の話を聴いて、集約している。これはテレビではできない。スマホのメリット。デジタルならではのリニアなものの見せ方を探したい、

オペレーションの時代の中で

昨今、世の中をオペレーションでしか見ない。理念が置き去りになっている。「ワクチンを打つ」ことは必要であり、大事だと思う。しかし、なぜ打つのか、とか、ワクチンの歴史とか、短期間で開発したワクチンの理念などを問われない。

国防に力を、と言う意見もある。しかし、そこに歴史から学んできた理念は生かされているか。その土俵だけで語ると、あえて侵略を受けて屈服したほうが、民族は生き延びると言う考え方もある。

人は目の前の現実、それを感じて生きている。しかし、きっぱりと違うところに心がある。それで現実を受け止めている。その心が、現実に心をはかせている。それが、人の姿。昨今は現実に心が負けている。人の心を、デジタルと新しいナラティブで鍛えたい。

問いの立て方のノウハウ

当たり前を疑う。課題を見つける。「そういえばこれはなんでだろう?」で世の中を見る。あらゆるものを「なぜ」で見る。身近な当たり前を疑う。世の中を、先入観を持たずにフラットに見る。

日々、日常生活を大切にする。流行を追うのは得ではないと思う。今、目の前にあるのをまっすぐ受け止める。楽しい、不便などを、バイアスなく受け止めるように心掛ける。目の前にあるものを、主観や自分の文脈を取り払ってみると、立ち上がる。

わかってないことを見つけるのには、時間がかかる。木の緑は、なぜ緑にみえる?この次元に立つと、立ち上がってくる。

リアルの意味

石戸:リアルのイベントの映像化やデジタル化が進んでいる。授業も対面かオンライン、紙がデジタルへ。これから、いろいろなものをデジタルにしていく。できること、できないこと、難しいことがあると思うが、あえて挙げるとすると?

小松:対面授業のメリットは、人間の発する言語メッセージ以外のことが伝わること。高校の社会の先生を思い出す。その語っている口調や目つきに、何か弱者への共感、権力への疑問が伝わってきた。そこに共感していた。一つのことをつたえる際のエモーションである。

映像は時間がかかる、文字はすぐに中身を把握できる。紙は持ち運べる。デジタルは探す手間がない。文字はデジタルだと反復できる。効率よくできることは効率よくして、空いた時間を使って、先生方には人として、人格的薫陶などをしてほしい。世の中について語りあうのもいい。

チコちゃんの演出

石戸:一般の人のリアクションを入れる意味は?問いがみなが共有できるものであるという表現か?

小松:「あ、そういえば知らなかった!」という反応を入れると、見ている人もハッとする。でも「世の中の人もハッと」していると安心もする。誰もわかっていないことがわかる理由を、みんなで考える…というプロセス。タレントだけでなく、自分に近い存在に共有している。とにかく拡げて共有し、自分事に。

小松さんはフォーマットマニア

石戸:スイッチを入れるフォーマットはあるか?子育ても教育もエンタメも、スイッチを入れるためのパターンとは?

小松:「自分もやってみたくなる行動」を入れる。「トリビアの泉」での「へー」ボタンなど。「へー」と机を叩きたくなる、あの動き。それが楽しい。

人生最高レストラン」という、今まで食べたものの話をする番組がある。この「食べたものの話」は、月並みな話のひとつ。しかし、この番組をきっかけに、オレも、わたしも、このような話をしてみたい、と思う。参加したくなる感覚、すなわち、共感のスイッチが大事。楽しそう、はやってみたくなるの基本。

日常の会話でどういうことが盛り上がるのか、を意識している。「トリビア」の一つに「伊勢丹の紙袋がいちばんでかいのはなぜか」と言うのがある。答えは、新宿をほうぼう買い物し、最後に来るのが伊勢丹。なので、その紙袋が一番外側に来るようにしている。

「感じている楽しさは何??」これを日常で見つける。ときめきをみつけて共有している。「秘密のケンミンショー」のプロデューサーの菅原さんが話していたのは、この番組のきっかけは「福岡県ではイソギンチャクを食べる、と話したら、えー!と驚かれた時」だったそうだ。「出身地」と言う属性を刺激する。フォーマットはナラティブをつくるメカニズムである。

フロー感覚を教育で活かす方法

石戸:大事な視点だと思うが、良い例は?

小松:直接の答えになっていないが、教育を集団でやる意味は、友達がいること。友達が逆上がり出来た、自分にもできる。その時点では解決できないことを、友達と探求すると乗り越えられる。ちょっと先の楽しさを提案する、これに尽きる。

なにより、教える大人がどういうことだとワクワクする??を常に意識すること。化石を掘る時にワクワクするなど。りんご飴を買うのにワクワクするのは、食べる時ではなく買う時。

人は、どういう時にワクワクするのか??化石を掘る時もだけど、遠くに山を見る時などかもしれない。心の動きをイメージする。「何がワクワクするのか」。具体を抽象化し、あてはめる。人は、限界を超える時にわくわくする。ひとによって限界は違う。

集団の教育の中では、わくわくを演出しやすい。自分と友達の間には、時間の流れのコンテキストがあるから。苦手だった友達ができるようになったとか、「だめだ」と思ったことを励まして伸ばすなど。その集団に、どういう文脈が流れているかを意識する。

集団では自動的に意識し、未知の世界を探求する。限界を超える恍惚感は、何か一つ知ることで、感じ方が変わる。人間と世界の向き合いで変わる。例えば、アイドルが好きになると明日が変わるなど。

雑談が減ったことが与える影響

石戸:雑談が減ることで落ちてしまう教育的効果あるのでは?

小松:直接の答えではないが、エンタメビジネスとは、世の中の気分を追いかけ、捕まえる仕事。こういうことを話す、こういうコミュニケーションをする、など吐いている言葉の文字的なものでは捕まえきれないものを捕まえる必要がある。言葉は、いろんな脈絡で吐き出されている。筋道立ててなど、語られない。世の中は不可解で、伝わりずらい。顔つきなどかもらもわかる。

世の中にないものを生み出すのは潜在意識。複雑なものをつかまえるのは我々の感覚の働き。しかし、今のこういう環境では難しい。

簡単に言葉にできる論理などで、ヒット番組を創れた覚えはない。直感的な感覚をコミュニケーションで作って、ヒットする。直感を論理にもどして、別のヒット作を創ろうとすると失敗。論理や方法に落とし込むと失敗。

摩訶不思議な感覚がやりとりしているうちに、筋道が見えてくる。人の心を動かすには本質に迫ることが大事。

学び後記

エンタテインメントビジネスとは、ときめきを伝えること」…まず、ここにグッときました。ときめきとは、子供が縁石を歩く時に感じる「ワクワク感」。聞いたことはあるけれど、見たり、やったりしたことはない。無理ではない、でも、ちょっと挑戦。そうしたポイントを刺激して、聞く人の中に物語が立ち上がらせ、物語を自分事にしてもらうこと。

これは、体験を通じてコミュニティになっていくプロセスでも、意識すること。みんなで、その挑戦を繰り返すうちに、コミュニティになっていく。幹事は、そのポイントを見つけて、挑戦したくなるきっかけを提供すること。ある意味、プロデューサーかも、なんて思ったりしました。

ありがとうございます!頂いたサポートで、コミュニティ活動&幹事で知見を得て、また、共有します!