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BUCK-TICK 僕を作ったモノ5

初めての出会いは視覚からだった。
ビクターのラジカセのTVCMに登場したその姿が衝撃的過ぎた。
髪の毛を天までおっ立てた5人組が徘徊してた。
その時のコピー「重低音がバクチクする」でその5人がBUCK-TICKというグループである事が全国に知れ渡ったと思う。
CMに起用されるくらいだから既に知名度はあったのかもしれないが、初めて見た12歳の僕に与えたインパクトはもの凄かった。

なぜ下に向かうはずの髪の毛が空に向かっているのか?
何か見てはいけないものを見てしまったような。その衝撃が凄すぎて眠れないのである。まぁ実際には眠るのだが、初めて見た日は布団に入ってもドキドキしてなかなか眠りにつけなかった事は覚えているし、その興奮は翌朝になっても収まりはしなかった。

その後のバンドブーム加熱と共に、X(現X -JAPAN)や大槻ケンヂ等、髪を立てた人々がTVを通じてお茶の間に認知されるようになったが、そのビジュアルを初めて見た小学生の脳には処理ができなかったのである。

それから暫くしてもその熱は冷めなかったのか
CMで流れていた「JUST ONE MORE KISS」を小遣いで購入した。
今はなき8cmCD、縦長のケース。

人生初のシングルレコード購入

バクチク現象


この「バクチク現象」とは元々1987年、彼らのインディーズアルバム発売記念ライブで使われたネーミングである。池袋にあった豊島公会堂でのライブ告知のために、繁華街の至る所にライブ告知ステッカーを貼りまくり宣伝活動を行って話題になったとの事。

この豊島公会堂は僕の地元にあり、小学校の合唱コンクールでその舞台に立った事もある。当時はそんな事も知らなかった訳だが。。
この言葉はその後もバンドの大きなターニングポイントとなるべきイベントに使われていく。何か大きなことをやらかす時には「バクチク現象」と名付けられる事になる。

1987年、街中に貼られたライブ告知ステッカー


1989年、中学1年の時だった。テレビで「BUCK-TICKのギタリスト今井寿逮捕」というニュースをリアルタイムで見た記憶がある。薬物使用により警察に連行されていく様が映っていたと思う。この事件をきっかけにBUCK-TICKは活動休止、その姿を潜めることになる。
そして半年の自粛期間を経てその年の年末、5万人を集めた東京ドームという大舞台で彼らは復活を遂げる。
復活ライブは「バクチク現象」と銘打たれ華々しくシーンに舞い戻った。

日付と会場名のみのシンプルステッカー

復活翌年の1990年に出したアルバム「悪の華」は大ヒットとなり、彼らは当時の音楽シーンにおいて確固たる地位を築いた。退廃的な世界観を表現し、BUCK-TICKとしての確固たるカラーを打ち出したのはこのアルバムからだと個人的には思っている。
当時自分の中学校のバンド好き達ははおそらく皆聴いていたと思う。ただし、自分の中ではこのアルバムに強くハマったという思いはそれほどなく、数ある好きなバンドのうちの一つに過ぎなかった。


世はバンドブーム、新たなバンドが次々と現れてくる。多感な中学生時代に僕はレンタルCD屋をフル活用してとにかく様々なバンドを聴き漁った。

X、COLOR、AURA、かまいたち、BY-SEXUAL、AION、カブキロックス、ZI:KILL、D'ERLANGERといった様々なビジュアル系バンドに加え、ブルーハーツ、筋肉少女帯、JUN SKY WALKER(S)、ユニコーン、すかんち、アンジー、聖飢魔II、ZIGGY、KATZE、マルコシアスバンプ、etc…と枚挙に暇がない。

そして愛読誌はPLUM、宝島、Fool'smateという見事なまでにバンドブームの洗礼を受けた世代なのである自分は。

上記の中には解散してしまったバンドもあれば、今尚現役で活動を続けているバンドもある。少年時代に夢中になり影響を受けたバンドやその音楽は今でも好きだし、思い出した時に無性に聴きたくなる事もある。

ただ当中学3年にもなる頃にはそんな流行や熱も自分の中で徐々に冷めていった。
楽器を始めたこともあり音楽的嗜好が変わり、聴くものが洋楽(特にHR/HM)へと移っていくのである....

狂った太陽

中学3年の夏頃か、友人が1枚のCDを貸してくれた。
こちらから頼んだわけじゃないが「これ良いから聴いてみな」と渡してくれたのはBUCK-TICKの新譜だった。
初回限定盤でCDジャケットの上にメンバーのコラージュ風写真が描かれた5枚の透明シートがついていて、全てを重ねると1つの絵になるという特別仕様だった。
タイトルは「狂った太陽」。

正直、さほど興味はなかった。
HR/HMバンドの持つ激しさや疾走感、またギターヒーローと呼ばれる人達の華麗でテクニカルな演奏の魅力にドップリと浸りギターキッズとなっていた自分にとってBUCK-TICKは注目する対象ではなかった。

その頃には、曲や演奏力ではなく見た目の良し悪しで女の子達にキャーキャーと騒がれる数多のV系バンド全般は憧れではなく、むしろ「格好悪い人達」として避ける傾向にあった。

当時の、特に海外のロックミュージシャン達は80年代にヒットしたLAメタル勢、お化粧バンド達を貶す発言が多かったのも影響していた。
「格好じゃねぇよ、大事なのは音楽さ」、「ありのままの自分を見せる」、「化粧してる奴らはまともに演奏できない」そんな言葉の数々が雑誌を通じてロック小僧達を洗脳していった。

特に1991年はNirvanaの「NEVER MIND」、METALLICAの「ブラックアルバム」が世界的にヒットしており、完全にアンチビジュアルな時代。
格好はラフが正解、お化粧なんてダメ!という風潮になっていてロックは横ノリの重いヘヴィネスサウンドがメインストリームを占めていた。

実際に化粧や煌びやかな衣装を捨て、ラフなTシャツやボロボロのジーンズを見に纏いラウドなロックへと音楽性を変化させるバンドは海外で多かったと思う。上手く行った例もあれば、旧来のファンをがっかりさせる結果になった例も数多くあった。

そんな状況下でのBUCK-TICK新譜である。
家に帰って「狂った太陽」をCDデッキに入れて歌詞カードをパラパラとめくりながら聴いてみた。

キラキラとしたギターイントロと歓声から一曲目の『スピード』が始まる。続く2曲目の『machine』。
疾走感溢れるロックチューンを聴きながら感じたのは「ボーカルの存在感」が以前より増しているという事。歌声に迫力があるというか、感情がこもっているのだ。

3rdまでの初期アルバムにおけるVo.櫻井敦司のスタイルは軽かった。軽薄ということではなく、所謂ビートロック的な歌い手であり、それは当時のBUCK-TICKのPOPな曲調に彩りを添える要素であったと思う。

4th「Taboo」頃から歌い方や声のトーンに重さや落ち着きが増していき表現の幅が拡がった。

5th「悪の華」では更にそこに深みや妖しさが加わり、少し上から目線で語る様に歌い上げるという歌唱法は作品全体の雰囲気に実にマッチしていた。

櫻井自身の端麗な容姿と寡黙な性格がそこに更なるミステリアスな雰囲気を加え、クールで妖艶なる孤高の存在としてイメージを確立させた。
それはそのままBUCK-TICKというバンドの顔となり、スタイルは完成したと思われた。

ところが6th「狂った太陽」は違った。
ヴォーカルがキレている様だ。セクシーとも言える落ち着いた声はそのままだがその歌は従来より圧倒的に力強く、狂気に満ち満ちていた。
そして曲によってはその表情を大きく変える。危険な狂人から繊細な詩人へと。

さらに何よりも歌詞がぶっ飛んでいた。
今まで日本語と英語を織り交ぜながら刹那の恋を歌っていたバンドが、ここから狂気の世界を描き出すようになる。

特にブックレット上に全てカタカナで書かれた歌詞を見たのは衝撃的だった。

ココハドコダ ソシテコノオレハダレダ
ナゼニワラウ ソンナアワレムヨウニミルナヨ 

オシエテクレ イッタイナニヲスレバイイ
ワルイユメサ ダレモカレモキズダラケデ

チヘドヲハク モットキズヲフカクフカク
コドウヲキケ ハハニダカレテシヌガイイ

オレヲコワセ スベテコワセ
スベテカワル スベテオワル

「地下室のメロディー」

歌なので声に出してしまえば、仮名使いは関係ない。
しかし声だけでなく視覚からの情報がそこに加わる事で、聴く者のイメージする世界は圧倒的にリアリティを持ち迫力を増す。

この曲を聴いた時に僕の頭の中には血まみれで完全にイっちゃってるヤバい男が現れた。
初めてTVで見た時同様、またも視覚的な衝撃を僕に与えたのだ。

「カッケー!」素直にそう思った。
イカれた世界観が中学生の感性に直撃した。
そしてこのアルバム、全てが狂気の言葉に包まれていた。

フザケタツラで愛を歌うの 
無力な俺を感じてくれ
殺したはずの顔が微笑んだ
突き刺サレタ 俺の顔
猟奇のままにギラついた眼球 
フィナーレを歌う子供たち
ああ…ゆがむ…体…ああ 何も信じちゃいない

「変身(REBORN)」

ギリギリまで皮膚がちぎれるまで走る 息を止めてこの世を呑み込む
バカゲテイル奴らちぎれるまで走る 正気のままここで夢見るの?
飛び込んで行く光速に まぶし過ぎる星になるまで
信じるものは神じゃない 沸きあがる血の匂いだけ

「MACHINE」

僕は狂っていた 膝をかかえながら
傷をなめていた 汁を垂らしながら
逃げ出すサイレンの渦 こうして生きてゆくのか

「M・A・D」

中枢神経 まっ二つの愛 錯乱の輝き
あなたの宇宙(ソラ)の胎内(ナカ)絶頂へ統一さ
目覚める破壊の季節

「Brain,Whisper,Head,Hate is noise」

怒り、悲しみ、醜さ、狂気、愛、未来、欲望、無力、儚さ、絶望、死…
そういったキワどいテーマを「文学的表現」と「音楽的表現」の2軸にした手法で表現してみせていた。

「言葉」は世界観を伝えるツールであり、楽器演奏のフレーズ様に曲を彩る要素にもなるという事を見せつけられた気がした。

音楽で激しさや勢いを表現するのに高速ツーバス連打やフラッシーなギタープレイは必須ではない事、怒りや重厚さを伝えるのに爆音や絶叫以外の手段があるという事を視野の狭いメタル小僧に教えてくれたのだ。

このアルバムを聴いてからBUCK-TICKに対して一目置くようになった。
狂った太陽」はマイおすすめ邦楽アルバムのトップに躍り出たのだ。


当時の洋楽ファン、特にロックファンにおいては日本のビジュアル系バンドを蔑む方向にあったと思う。
髪の毛を7色に染めてみたり、奇抜なメイクや衣装で自分をアピールする姿を小馬鹿にする風潮は確実に存在したと思う。

現在であればそれは個性だったり涙ぐましい戦略として理解されるだろう。そもそも人が好きでやっていることに文句つける必要ないじゃん、となるのかもしれないが、20〜30年前にはやはりみっともないとする価値観は多くの人にあった。

少なくとも自分の周りにはあった。
バンドブームバブルが弾けた後、かつてのビジュアルインパクトはもはや薄れ、雨後の筍のように出現する奇抜な格好のミュージシャン達を嘲笑う声は多かった。

当然、友人知人で音楽の話になった時にビジュアル系バンドを小馬鹿にするような会話は結構出てきた。そんな時に自分もある部分は同調しつつも、「ビジュアル系は嫌い。でもBUCK-TICKは別。あいつらはスゲー。」とはっきり言うことができた。
それはこの名盤「狂った太陽」で頭をぶん殴られた衝撃と感動が本物だったからだと思う。
そしてこの意見に賛同するメタルファンは結構多かった。


BUCK-TICKの音楽性をどんなものかと聞かれると表現に困る。

所謂人生の応援歌を歌うバンドではない。ストーリー性のある恋物語も歌わないし、直接的な社会風刺や政治批判もほぼない。
曲調は基本はロック、ポップスだがサイバーチックなインダストリアルサウンドからゴシック、沖縄民謡、シャンソンまで幅広い。
描き出すのは愛と死、淫らな情欲、狂気と絶望、自由と快楽といったテーマだ。

独自性の高いその歌詞は、何を伝えたいのかと聞かれたらはっきりと答えられない。
陳腐な言い方だが、ただそのフレーズ一つ一つがカッコいいのである。

ファンタジー小説に出てくる吟遊詩人のような優雅な表現からグロテスクで禍々しい言い回しまで。散文的な抽象表現が多いからファンはそれを自身の体験や感情に照らし合わせやすい。
それぞれの曲が短編映画のようであり、絵画のようでもある。
聴くものの頭の中にそれぞれの世界をイメージさせる。優れたメロディーと奇抜で秀逸な言葉の響きが快感を与えてくれると言えば良いのか。

当初は、BUCK-TICK楽曲への感想や自分に与えた影響をグダグダと書き綴ろうと思っていた。

35年以上も不動のメンバーで、コンスタントに作品を出し続け、その度に新たな進化を見せる稀有なバンドであることを。

メインソングライターである今井寿の奇才っぷりを、星野英彦の作曲能力を、ヤガミトール・樋口ユータ兄弟のリズム隊としての活躍を。

類稀なる美貌を持ち、ロックバンドの理想とも言えるフロントマンとしての櫻井敦司の魅力を。

そして彼らの作品が自分にどれ程影響を与えてきたのかを。

非常に狭く浅い知見ながらも書くことができれば、と思っていた。

その気はもう起こらない。



2023年10月19日
櫻井敦司逝去

バンドは2023年末までのライブスケジュール全ての中止を発表



職場のパソコンでそのニュースを見た時に一瞬、受け入れられなかった。
あのヴォーカリストが死んだと言うことはもうBUCK-TICK自体が消滅することに等しい。
あの歌声とルックス、作詞能力を持ちそれを歌える人間が他にいるとは考えられない。仮にいたとしても不動のメンバー構成できたバンドだけにファンが許容できるはずがない。

嘆き悲しむと言うわけではないが、自分の中からとても大きな物が喪失したような感覚でその日は帰宅した。
櫻井敦司の遺作となってしまった最新アルバム「異空」を聴きながら。

食事を済ませて自室に戻り、スマホを見ようとロックを解除した際にさっきまで聴いていた曲の歌詞が画面一杯に表示されていた。
予期せず現れたその歌詞とクレジットを見た時、何かが込み上げ涙が流れてきた。


奇しくもその一月前、2024年公開に向け映画のティザー告知が出されていた。


今後バンドがどうなっていくのか。
不謹慎かもしれないし、考えても仕方ないことだがファンとしてはやはり気になってしまう。
櫻井敦司なき後の可能性として考えられる事はいくつかある。

①新しいヴォーカリストを加えて活動継続
②他メンバーがヴォーカルを兼任し四人で活動
③期間限定的にゲストヴォーカルを招いて活動
④過去映像や音源、AI技術等を使用して櫻井敦司を再現
⑤活動休止・解散


一般的に考えれば①が妥当だが、35年以上同じメンバーで活動してきたバンドである。なかなか実現するには厳しい物があると思う。となると③④あたりが現実的な着地点かと勝手に妄想したりしてしまう。

そこのけ そこのけ 未来が通る
そうだ 未来だ
蹴散らせ 引くな怯むな 進め 未来だ
蹴散らせ 弾けてみせろ そうだ 未来だ

「FUTURE SONG -未来が通る-」

アルバム「アトム 未来派 No.9」でギター今井と櫻井が共に歌ったアップテンポで景気のいいこの曲は僕のお気に入りだった。

「過去や現状に囚われず 先に進み続けることで見えるものがある」
そんな風に僕は解釈している。

今井はSNSを通じて「続けるよ」という短いコメントを出している。
その他の情報は今のところ一切ない。

他と異なる独自の感性でバンドを引っ張ってきた今井寿なら何かをやるはず。
BUCK-TICKをゼロから築き上げてきたメンバー達ならこのまま終わる訳がない。

そんな風に勝手な願いを込めてしまう。ただ、高校の時から40年間苦楽を共にしてきた仲間がある日突然消えてしまった彼らの胸中を思うと過度の期待もできない。

バンドは沈黙を続けている。
次に出されるステートメントは新章の始まりを伝えるものなのか、
それとも終幕を告げるものなのか‥



その衝撃的な見た目と登場時期から、後に一大ムーブメントを巻き起こすビジュアル系バンド(いわゆるV系)の始祖に見られがちなBUCK-TICKではあるが、意外にもその括りには入っていない事もある。

同時期に世に出てきたXがV系の立役者である事は認知されているが、BUCK-TICKはどちらかというとそれらと少し異なる独自路線を進んでいるバンドという扱いをされているようだ。
これが当時からなのか、どこかで変わったのかはわからない。

もちろん今でもV系と捉える人もいるだろうし、少なくとも出てきた時はV系だった。(当時そんな言葉はなかったが)実際自分もそういう認識でいる。
ビジュアルで衝撃を与えたロックバンドの元祖はBUCK-TICKであると。

歴史に「もしも」があるとするなれば、櫻井敦司が健在で60代、70代のBUCK-TICKというものを見てみたかった。
かつてド派手なルックスで登場し世間の脚光を浴び、世の若者達に影響を与え、少年だった僕に衝撃を与えたこの一団が、美貌のフロントマンが、この後どうなっていくのか。

歳を重ねる毎にメイクは減り、髪は薄れ、シワは増えていく。それでも自分たちの音楽を追求していくとどのような変化を遂げるのか。

強烈なビジュアルで世に出てきたバンドの最終進化形態のようなものを具現化できるのはBUCK-TICKだろうと勝手に思っていたから。




フロントマンの突然の逝去から一月弱。
事務的な事以外何の更新もなかったオフィシャルサイトが突如更新された。

黒画面に言葉が浮かぶ。

いったい何を??
詳細な情報一切なし。

カリスマ的ヴォーカリストを突然失ったバンドが一体何を始めるのか?
まだあれから一月も経っていないのに?
説明もコメントもなく?

でも、これで彼らに止まる気はないという事がはっきりとした。
ファンは困惑もするだろうが安心もするだろう。興味は高まっていく。


その後に続いた画面に
僕は興奮して心底痺れた。
すかしてキメるそのやり口に
感動を禁じ得ない。



これから先、
何が起こるかなんて誰にもわからない。

でも生きている限り、我々は
未来へと進んでいかなければならない。


こちらに考える隙を一切与えずに
唐突に現れるそのインパクトは
30年前、小学生の時に受けた
あの衝撃にとてもよく似ていた。


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