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コーヒーと、ふりかえる。

気が付けば市政に関心を持って1年。それまでも政治に無関心だったわけではないし、20歳から欠かさずに投票へ行っている。でも、いつもいつも慌てて調べて投票して、終われば思考の片隅へ。政治との付き合い方を知らずに20代も後半に突入していた。反省。

未だに「政治との付き合い方」というものがわからない。けれどもこの1年、意識的に政治に関心を向け続けられた(と思う)のは、「#上田と市政とコーヒーと」というハッシュタグがあったからだ。あとハッシュタグやイベントを通して政治の話ができる人が周りに増えたことも大きい。というわけで、これはわたしの備忘録。コーヒー片手にふりかえりましょう。

#上田と市政とコーヒーと  とは

「#上田と市政とコーヒーと」ってなんですか?」
そう聞かれるたびに心の中で「(なんだろうね)」と思う。でも、そう返されても困るよねと思い「ハッシュタグです。あとイベントの名前」とちゃんと答えてる。政治ではなく市政としてるのは、そっちの方が生活により身近だと思ったからだ。2020年9月、当時は人を集めるようなイベントをするには厳しい状況だった。そこで人を集めずにできることとして、ハッシュタグを考案。そうして生まれたのが「#上田と市政とコーヒーと」。でも、ちょっと長いので、よく人からは「コーヒーの!」と縮められてる。それもまたよし。

政治の話をするのが怖かった

今でこそ、わたしはオープンにあれこれ発信してる(と思う)。でも、最初は政治の話をするのが怖くて怖くてたまらなかった。その怖さについての考察をここでも書いてる。

その怖さも1年かけて少しずつ薄れていったように思う。まだまだ、国政の話とかは難しいし、やっぱりなんか怖い。でも、いつか話せるようになったらいいなとは思っている。

ハッシュタグを通して

ある人に「#上田と市政とコーヒーとは、参加じゃない参加ができる」と言われた。曰く、わたしの投稿を受け、それについて考えるという形の参加。そして考えたことについて「今度やぎちゃんに会ったら話してみようって思うの」とも言われた。参加じゃない参加。それは能動的というよりも、受動的な参加。その話を聞いた時、そういう形もあるのだと嬉しくなった。

ハッシュタグを通して投稿する話題はさまざま。妖怪・こうきしん(好奇心)のおかげで、その時、その瞬間に気になったものを心の赴くままに「わたし、気になります!」と投稿する。すると、普段はハッシュタグに反応がないフォロワーさんも「その話題ならば!」と参加してくれる。新しい発見、再発見。そんな交流もあったりして楽しい。

イベントを通して

・主語を自分にすること
・相手の話を頭ごなしに否定しないこと
・誰かの話にはしっかりと耳を傾けること

この3つを大切にしたいこととして、イベントの冒頭で共有している。あと「無理に話さなくてもOK。聞くだけでも参加」も。中断期間を挟みつつも、ハッシュタグ同様、なんだかんだ1年近く続いてる。実際に人と言葉を交わせる機会は貴重だ。対話が進むにつれ、話題が思いがけない方向へと転がっていくことを、わたしは「知の冒険」と心密かに呼んでいる。対話の中で生まれていく何かは尊い。それが何なのかはわからないけど。気力が続く限り、大切にしていきたい時間だ。願わくば、色んな人と話ができたらと思う。

政治の話をするということ

「#上田と市政とコーヒーと」というハッシュタグやイベントを1年以上続けて個人的に思うのは、別に政治の話を政治の話として、しなくてもいいよねってことだったりする。選挙の話をしましょう。政策の話をしましょう。政治の話の入り口は、必ずしもそのドアじゃなくてもいい。日常生活の困りごとや悩みごと、そのドアを開いてみたら政治に繋がった。そんな進み方もありだ、きっと。

「政治のことはわからない」
「難しいことはわからない」
わたしもそう思う。難しいよね。わからないものは、めんどくさいよね。それはそれでいいと思う。でも「まずはわたしのこと、あなたのこと、そういう話から始めてみようよ」って言いたいし、言えたらいいなと思ってる。わたしとあなたの話から政治の話に繋がるかもしれないし、繋がらないかもしれない。それでいいのだ。

おわりに

「上田と市政はわかるけど、なんでコーヒー?」
これまたよく聞かれることである。答えはいたってシンプル。コーヒー屋さんで、コーヒー片手に政治の話をしてたからだ。政治の話なんて、難しい顔してするより「このコーヒー、美味しいね」と言いながらする方が絶対楽しい。どうせなら楽しい方がいい。わたしはきっとこの1年で「楽しくいられる方法」を身につけたんだと思う。

「#上田と市政とコーヒーと」を始めて2〜3ヶ月経った頃、ふと「何でみんなもっと関心を持たないんだろう」と思ってしまったことがある。そして、そう思う自分に気づいて苦しくなった。「何でみんな」という他者へ意識は、自他共に苦しくなる。ひとにはひとの、わたしにはわたしのペースがある。それを意識するだけで、だいぶ違う。わたしはわたし、あなたはあなた。きっとそれが楽しく市政について考え続けられるコツなのかもしれない、わたしなりの。

さて、コーヒーを飲み干してしまったので、これにて筆を置くとしましょう。ごちそうさまでした。

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