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弟とZoom飲みをした話を書いたら死んだ母の話になって収集つかなくなってどうしようという話

私には弟が1人いる。東京で警察官をしている。弟には勿体無いしっかりした可愛らしい奥さんと2人暮らし。

東京在住。弟夫婦は3月を最後に岩手に帰省していない。正確には帰省できない。

本当なら、9月に帰省してもらって、去年亡くなった母の1年祭をしてなんて思っていたのだけど、父が1年祭の延期という苦渋の決断をした。岩手は日本で最後まで感染者ゼロだったけれど夏頃からポツポツと感染者が出始めていた。母の母、私の祖母は90代で元気だけど、親族で集まって1年祭したらきっと会食もセットだろうしリスクが高すぎる。

そして年末に向けて第3波がきた。弟夫婦はかなり早い段階で岩手への帰省をあ諦めた。仕方ない。けど、弟夫婦と飲んで下らない話をするのが好きだったので寂しかった。奥さんにしたら迷惑な話かもしれないけれど。

先日、弟から「オンライン飲み会やってみたい!」ってLINEが来た。私はオンライン飲み会を春ごろから、前住んでいたところのママ友たちと時々やっていたけれど弟はやったことがなかったらしい。

で、やってみた。楽しかった。結構盛り上がった。結果、ベロンベロンになったので何を話したのかさっぱり覚えていないのだけど。付き合ってくれた義妹ちゃんに感謝。

子供の頃は喧嘩ばかりしていた。きっとどこにでもいるようなきょうだいだったと思う。そして、絵に描いたような優等生の姉と、それを見てそんな人生つまらんと弾けていった弟。でも弟なりに将来の道を考えて、紆余曲折しながら結果厳しい警察学校を卒業して警察官になった(弟から聞いた話だけでも私には無理だなって思うほど厳しい)。看護師と警察官のきょうだいって字面だけ見ると最強に見える不思議。

お互い社会人になって、自分の仕事で生計をたてていろいろな社会の不条理に歯を食い縛りつつ成長していく。弟は姉フィルターがかかってるかもしれないけれど本当によく頑張っていると思うし、警察官ってやはりとても大変だしみんなから尊敬されたり憧れられる職業なのだなと思った。看護師と警察官って共通点がないように感じるけれど、対人の職種という部分は共通しているかなって思う。話をしていると、「あーそれわかるわかる!」って共感したり、「えーそれは私はこう思うけど?」みたいな話も遠慮無くポンポンできる。

お酒を飲みながら弟と、そして父とも社会人として、仕事をしている人間としての話をできるようになったことはとても嬉しい。幸いなことに父と弟は私の夫とも仲良くしてくれるので、また話が盛り上がって面白い。

真面目な話もするけれど、どうしようもなく下らない話でも盛り上がれる。おそらく他人が聞いたら、意味が分からなくて通じないような本当に下らない話。それが通じるのが家族だからなのかなって思う。つきあってくれる義妹ちゃんには感謝しかない(2回目)。

本当はこの下らない飲み会に母親もいた。母親はボケもいれつつ、ツッコミも鋭くて話にメリハリがあった。学生の頃までは過干渉気味で、今でいう毒親だった。と私は思っている。でも、社会人になって、特に結婚を決めた頃からは、私が決めたことに対して特に意見するでもなく背中を押してれるようになった。去年の夏頃に帰省した時に、来年の春(今年の春のこと)に地元で家を建てて引っ越そうという話をしていたら母親が図面を見たいと言い出した。外構関係の事務もやっていたので色々イチャモンつけられるのかぁ、嫌だなぁって思っていたら全く何も言われなくて拍子抜けしたことを覚えている。私たち一家が地元に戻ってくることを純粋に楽しみにしていたんだろうなって思う。それからよそ1ヶ月後に母は急逝したのだけど。

お題を見て楽しい話を書こうと思ったのだけど、ついつい母のことを書いてしまったら、いろいろな場面が昨日のことにように思い出される。こんなことを書くつもりじゃなかったのに。大学院に合格できたことも、引っ越した新居に招待することも、娘のランドセル姿を見せることも叶わなかった。母の死はあまりにも急すぎて、私の中ではまだ消化不良のままだ。それはおそらく、父も弟もそうだろう。

このお題の中に書くことは不適切かもしれないが、母の最後は酒に溺れた人生だった。元々お酒には強かったけれど、東日本大震災を機に拍車がかかった。でも、本当は東日本大震災の直後に結婚のために私が地元を離れた(半年位以上前から予定していた)せいなのではないかとも思っている。空の巣症候群的な。ちなみに弟はその何年も前に地元を離れている。地元に私がいたことが母の安心感や安定感を保っていたのかもしれない。私は、私の引っ越しのせいで母の酒癖が悪くなったのだったら、、、って思っている。もちろん、きっと周囲の人間はそんなことないって言ってくれると思う。でもその思いは私の中に一生留まることになるだろう。

どんなに悔いたって母が生き返ることは決してないし、悔いるということは私の人生の選択を後悔することと同等になるから、結婚や大好きな子供たちとの出会いを否定することになる。そして母は、私の夫のことが好きだったし(地元の新聞に載った時はわざわざ買ってくれた)、子供たちのことは本当に大好きだった。だから、上述の思いを拭えなかったとしても、その選択を後悔しないで生きていくことが、私にとっても母にとっても最善のことなのだと思う。

(ここで、タイトルから大幅に逸れたことに気がつき「弟とZoom飲みをした話」から修正しました。基本的にタイトルから入る人なんで、私。)

時々悲しむことはあっても、それも受け止めながらこれかも家族と美味しいお酒を飲んでいきたい。あわよくば、来年は今年できなかった母の1年祭(2年祭になってしまうけれど)をできたらいいなって思う。

今年1年生になった娘は、毎日ビールで晩酌する私をみて早く20歳になってビールを飲めるようになりたいと言っている。20歳の誕生日プレゼントは「KIRIN」のとれたてホップがいいらしい。銘柄指定だ。岩手県遠野産のホップを使っていて、キリンビールのコクに、若干のフルーティーさを感じる(あくまで個人の感想です)。我が娘ながらいいところに目をつけたと思っている(もちろん一口も飲ませたことはありません!)。14年後も岩手県産のホップを使った「とれたてホップ」を生産できていたら、うちの美人の娘をCMに起用してください。ギャラは、とれたてホップ1ケースで十分です。

年始にちょっとだけ県内の父の家に遊びに行きます。またじっくり美味しいお酒を飲もうと思います。ちなみに父は12/29〜1/3まで仕事でした。二日酔いにさせないように気をつけます。先日、インターネットを使えるパソコンを設置して来たので、今度は父とも弟ともZoom飲み会したいなぁ。。。

本当に収集がつかなくなってきたので、ではまた。

#ここで飲むしあわせ

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