KAIJINN
私が地元を飛び出し、京都で結婚するまでの話。 不定期更新。 たまに加筆修正もされます。
緊張をほぐしたのは 行きの新幹線で、僕はとある人物とひたすらメッセージのやりとりをしていた。 のちの旦那である。 抜粋しよう、アホなやり取りを。 旦那「え←これなに」 僕「変な形の山」 旦那「ほな山かぁ」 僕「他に何に見えんの」 旦那「え」 僕「あー、ワンチャン島にも見えなくないか」 旦那「感性いかれてんのか」 僕「どっちが死んだ感性か、バトルしよう」 旦那「いいぜ」 僕「なんか問題考えておいて」 旦那「ちんちん←なんて読む?」 僕「問題
京都へ行くまで、あと1日。 「突然ですが、家には帰りません」 弘前駅で、僕が電話口の母にそう告げると、母はあきらめ交じりに、静かな怒声を上げた。分かっているのだ、一度決めた僕は止まらないことを。 「どこへ行くの」 母の声は、震えていた。 つられて僕も、喉に力が入った。 「京都」 戸惑いをはらんだ間が、一瞬あった。 しかし、母はうろたえたのを表に出すまいと、前のめりに声を発した。 「いつ帰るの」 「帰らないよ」 僕は、「どう言ってもダメです」と心の中で繰り返した
あー、普通の家庭で歩む普通に苦悩も喜びもある人生て、こんなに眩しくて空疎なんだ。 3/3の夕方、私は吹奏楽の演奏会に来て、そんなことを思った。 旦那の弟の演奏会、その名目が無ければ、来たことを悔やみさえしたろう。 ──ひとつのことをたくさんの仲間とやり遂げる。 それまでに様々な苦悩や軋轢もあったろうに、終演後は涙さえ浮かべて、今日とそれまでの頑張りを、抱き締めあったり、写真を撮りあったりして称えあう。 正直、羨ましさでどうにかなりそうだった。 私が手に入れられなかった
どうやら、結婚したらしいなあ。 ふと、じんわり実感する瞬間がある。 それは特別、家事をしているときでも、夫婦の営みの最中でもない。 仕事のオンライン面接を受ける旦那を横目に、布団の上でぽかんとしているときである。 普段とはちがって、スーツに身を包んだ旦那が、普段通りの低くて優しい声で応答している。 たまに、「配偶者ありの場合って……」などと、質問するのが聞こえる。 そんなとき、皮膚のキメから沁みだすようにじんわりと、 「どうやら結婚したらしいなあ」 と思うのである。 今日は
土曜の義母・義父からの呼び出し、これは変なお叱りではなかった。 しごく真っ当な、常識的なお気持ちを述べられた。 「無い袖は振れへんのやで」 義父はいたって真剣な顔で、旦那に詰め寄った。 旦那は何も言わなかったが、力の篭った目で、父を見つめ返した。 一方で、私はこんなことを思った。 「無い袖を振ろうとして、私の実家は二の腕を裂いたのだ」 生活保護受給を私の院進学のためにやめた1年弱、家計は火の車だった。 その火の赤さは、さながら、無い袖を振って裂けた二の腕の鮮血といった
「心配」で親が子をコントロールする瞬間。 親に心配をかけるのは悪い子なんだろうか。 そんなわけで、土曜日は義母による叱られが発生する予感があります。 続報をお待ちください。
京都へ行くまで残り2日。 どうして人は、京都に行こうと決心すると、あのキャッチコピーじみてしまうんだろうか。 「そうだ――」と思い立ち、次に「京都」という地名が入り、「行こう」と口の端がきゅっと引き締まる。 その時の僕もまた、そのキャッチコピーじみていた。かつて京都を目指した先人たちと、恐らくは同じポーズで弘前駅の改札をくぐったのだ。 胸の奥底を猫じゃらしでくすぐられているようなむずがゆさと、これから一人で未踏の地へ行ってやるのだ、という高揚感だけが、その時の僕のす