シン・ウルトラマンとはなんだったのか!?【ネタバレあり版】
見てきましたよ、空想特撮映画 シン・ウルトラマン。
というわけで、前Noteの続きです。ネタバレありなので未見の方はご注意ください。
「ツッコミどころ」という言葉の功罪
私は当初、見終わった直後の感想としては「ツッコミどころ満載だけどおもしれえな」ってのが正直なところでした。
なんでメフィラスと居酒屋で飲んでんねん!!
なんでウルトラマンくるくる回っとんねん!!
なんでカミナガの中身変わってんの気づかんねん!!
あのテトラポッドは何の意味があんねん!!
KATO太くん出番多いな!
とかとか、映画を見終わるといろいろ細かいツッコミどころがいくつもあったなというのは見た人皆が思うのではと。
さて、ここで問う。
ツッコミどころがあったらあかんのか!?
最近よく聞かれる言葉で「ツッコミどころ満載」という言葉がある。
そもそも論でいえば、ツッコミなんて言う概念はウルトラマンの初回放送時の1966年にはなかった概念だったはずで、ツッコミという概念は1980年代のマンザイブームあたりで上方漫才がもたらしたものだったと言われている。
それが現在では「一億総ツッコミ時代」©マキタスポーツ(https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000275883)なのである。
現代、皆が映画を見るときには評論家ぶり、批評家ぶり、ツッコミを入れてしまう。ちょっとでも事実と異なることや、コンプライアンスに反することがあれば指摘し、SNSですぐさまそれが拡散されてしまう。
悲しいかな今はそういう時代なのだ。
極めつけはこの記事だと思う。https://www.newsweekjapan.jp/furuya/2022/05/513-attack-on-titan-attack-on-titan.php
メフィラスの支払い方法が描かれていないだの、禍特対の所在地が明らかにされていないだのというツッコミが入れられている。確かにそう言った描写があれば作品の解像度は上がるかもしれないが、それが描かれていないからダメだとは思わない。一種のいちゃもんじゃないかとも感じるくらいだ。
だがしかし、それらの指摘を行うことはそういった楽しみ方ということで否定するつもりはないし、そもそもこんな文章を書いている時点でそれを否定していては矛盾してしまう。
何を隠そう私もそういった細かい指摘を見て考察するのを面白がる方なので、ツッコミを入れる分には大いに結構だとは思うが、ツッコミどころが多いからダメな映画だと判断してはいけないという意見だ。
例えば最近、過去のウルトラマンを見返していて思ったことがある。
第33話「禁じられた言葉」で、放射能を帯びた霧に包まれた場所に科学特捜隊が出動する場面がある。そこでキャップが放射能バリアをして行けと伝えるのだが、それはヘルメットのフェイスガードを下げただけで口元など丸空きである。
そんなんで放射能防げるかー!とは思うし、シン・ウルトラマンできちんとした(我々がニュースで見ていたようなリアルな)放射能用防護服を着ていたのとは大違いである。
もちろん時代的に放射能に対する知識が上がったことは前提としてあるが、そうではなく、ウルトラマンを見ていた子供たちはそんな雑な設定だろうが、ピアノ線まるわかりの宇宙船だろうが、なにをみても「すげー!」と言ってワクワクしていた。そんな気持ちでシン・ウルトラマンも見るべきなのだなと思わされた。
余談だが、メフィラスとカミナガが居酒屋やブランコで話し合うシーンであるが、ウルトラセブンとメトロン星人が茶の間で話し合うシーンを思い出した方も多いのでは、などと思った。
トンデモ科学問題
さて、前項の話につながるが、オリジナルのウルトラマンでは時代的にもそれほど細かい化学考証がされていなかったと思われ、今考えるとおかしな設定がたくさんある。それを代表するのが1999年に出版された「空想科学読本」だ。
その中で紹介されているのが、例えばウルトラマンの体重が3万5千トンとなっているが重すぎて地面が持たないだとか、ゼットンの火球が1兆度だとかでエネルギーがデカすぎるだのという”ツッコミどころ”だ。
ちょうどゼットンの火球については詳しい記事を見つけた。
https://news.yahoo.co.jp/byline/yanagitarikao/20210409-00231264
これによると一兆度の火球が影響を与えるのは「402光年」とのことで、太陽の「470兆倍」のエネルギーとのことだ。もうなんのこっちゃわからない。
ただ、シン・ウルトラマンがすごいのはウルトラマンの体重についても、ゼットンの火球の温度についてもちゃんと触れていたし、現代の映画としても納得できるような描写になっていた気がする。
ウルトラマンファンなら絶対に気になっている数字ではあるので、ファンである制作陣も作品を作るうえで無視はできない内容だろうなと推察した。
そしてさらにザラブの口からはスペシウムの秘密や、ウルトラマンの飛行原理などについても説明がされた。これは過去にはあまり公式では説明されていなかったことだと思うのでこの場でちゃんとした公式な解釈を出したのは面白いなと思った。
一般のオタクが好きな作品を自分なりの解釈をして発表するというのを、映画に取り入れて公式なものにするというのはオタクの夢だなと思うし、それをかなえた庵野秀明すげーなってなった。
また、その解釈の具合が見に来たファンをニヤッとさせるいい塩梅だったように感じた。
このあたり、伊集院光の深夜の馬鹿力(2022/5/16放送分)で上手く話されていたのでこちらを聞くのもおすすめかと。
なお、映画で出てきた数字が本当に上記だったかは覚えていないので、これから見る人いたらちゃんとチェックしといてくれたら嬉しいです。
再度同じことを言いますが、体重だろうが火球の温度だろうが、基本的には科学的解釈されるのが目的ではなく、子供心に「すげー!」って思われるのが目的ですのですから。こまけーこたあ良いんだよ、って感じですね。
禁じられた言葉
メフィラスがことあるごとに言う、「〇〇、私の好きな言葉です」という口癖。
なんだか胡散臭い感じを出すのにいい感じの役割を果たしているなと思っていたが面白い分析をしている人がいた。(そもそも簡単に好きとかいう人は胡散臭いよね、みたいな解釈もちょっと面白い)
曰く、作中で「好き」という言葉を明確に使うものは敗れる運命にあるとのことだ。メフィラスも、ザラブも、明確に好きを公言していたが、それに対してウルトラマンは人間に対しての感情について明らかに「好き」であるが、それをいつまで経っても明確には表しておらず、簡単に「好き」と表現する異星人と対局に表現されていたように感じられた。
さて、ここでふと思ったことがある。
それはオリジナルのウルトラマン 第33話、メフィラス星人が登場する会である。その話のサブタイトルが「禁じられた言葉」なのだ。
まさにこの「好き」という言葉が「禁じられた言葉」じゃないかと思ってニヤッとしました。
さすがにそこまで考えられたものではないと思うけれど。
セクハラ議論について
シン・ウルトラマンの感想を見ていて気付くのが「セクハラがきつい」って意見である。
セクハラについては恐らく一番の原因は、斎藤工が長澤まさみの匂いをクンカクンカするシーンだと思う。しかもこれが執拗に長めに続く。
だが、これはセクハラシーンではないと断言する!!
これはセックスシーンだ!!!
本当はこの作品では異星人と人間のセックスまで描きたかったのではという考察をしている人がいた。パンフの樋口監督インタビューでもそんな話が出てきたとかなんだとか。(当方未読につき未確認)
なんでも最後にウルトラマンが出動するときに長澤まさみとのキスシーンを入れる動きがあったとかなかったとか。結果、もちろんそんなシーンはなかったわけだが、長澤まさみがウルトラマンに好意を抱いているのは間違いない。
流石にウルトラマンでそんなシーンを描くわけにはいかないのでそんなシーンは無いのだろうが、ウルトラマンのコンセプトとしては異星人と人間の交流なので、セックスにまでたどり着くのも当然と言えば当然かなと思う。
というわけで、好き放題にシン・ウルトラマンと、その感想・考察を見て思ったことを書いてきました。
これも誰かの言葉だが、シン・ウルトラマンが言いたかったことは、ウルトラマンを見ろ!なので私も円谷のウルトラ見放題のサブスクにはいってウルトラQから見直している。
なので皆さんも是非。
それでは、次はシン・仮面ライダーでまたお会いしましょう。
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