自己中心的な人生

最近薄々気づいてきたんですけど…もしかして…皆がみんな「自分のことは全部自分で決めたい」わけではないんですかね…?(おそるおそる)

例えば、会社員を辞めた理由は幾つもあるけど、「自分の時間の使い方を自分で決めたい」という想いがあったのは間違いないです。
でも、そういえば会社を辞めることが決まった後に、後輩に「会社員向いてなさそうだから一緒に辞めようよ!」って冗談で言ったんだ。
そうしたら「いや、人に言われたことやるの得意ですから(笑)」みたいに言われた記憶が蘇ってきた。

会社員を辞めて独立する人の理由でも「人間関係を自分で選べる」というのが挙がっているのを見かける。
それに対しても、「そうだよね!(皆もそうに違いない!)」と思ってた。

家電とかを買うにしても、選ぶのにランキングの上位だからって自分に合うか分からないから、むしろ上位こそ疑ってかかる。
人に何か勧められようものなら「それは貴方は良かったんでしょうけど、私たち違う人間じゃないですか?」とか内心思ってしまう。
だから口コミとかもあんまり気にしないけど…そういえば多くの人は口コミが購買行動に大きな影響を与えるってよく聞くな…あれは都市伝説じゃないの?
だって数件の口コミのデータなんて個人の感想だから、データじゃないじゃないですか?あれ、これはガチ理系だからの発想か?

そういえば性別についてもそうだなぁ
お膳立てされた男からは逃げ出したし、その先に用意されている女に落ち着くわけでもない。
性的少数者の発言として「普通に生まれたかった」と聞くことがあるけど、内心「え、普通ってつまらなくない?」って思ってしまう自分がいる。

さらにそういえば、(一時期を除き)自分が関わっているものには若干周囲より主体的に関わっていた気がする。
小学校では何回か学級委員やったり、中学は部活の部長をやって、(なんか闇の時代の高校は置いておいて、)
ネットで知り合った気の合う人たちと交流会を開いたり、
大学でもサークル(ほぼ飲みサーですが)のなんかあれ部長だったかな(うろ覚え)、
大学院は途中から週7で研究してて、会社では労働組合の執行委員をやったり、まぁ仕事もそこそこ頑張ったつもり。
Xジェンダーの当事者団体も、主体的に関わっていたらいつの間にか偉そうな役職がついていた。
主体的というか、やる人がいないなら自分がやるかぁくらいの事も多々あるんですが。

いずれも全部が全部中途半端なので中途半端な人生を歩んできている。
それと「自分のことは全部自分で決めたい」気持ちが100%で何かに関わってきたわけでもない。
雑談とか苦手だから、何か作業する形でコミュニティに関わるという気持ちも結構あったりする。
もしかしたら何処かにマッチョなお山の大将を気取りたい気持ちもあるのかもしれない。それは否定したいけど。
でも三つ子の魂百までじゃないですけど、ある種一環している部分が自分の人生にもあるなぁと思ったりしたり。
でも全てが、性格が自己中心的で片付けることもできるかもしれない。

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