Q. 椅子は座るだけじゃなくて、眺めるための椅子、思想を表現するためのものもあるということでした。別の先生から、「ただ自分の内面や意思を表現した作品はアートだ」、と言われました。座るためじゃない椅子はデザインではなく、アートに含まれてしまうのでしょうか? HYさん(1年)

W うーむ。アートとデザインは明確に異なるという他に、アートよりもデザインの方がえらい、という言い方にも聞こえますね。

F たしかにね。これまた、いろいろなことが含まれているようで、一筋縄じゃいかない問題だよね。                           で、お二人は、自身のことをデザイナーと思っている?それともアーティストだと?

Y デザイナー、だと思っています。

W 僕は、いままで自分を、アーティストともデザイナーとも考えたことがありませんでした。

F えっ、それってどういうこと。建築家は、建築家であって、デザイナーでもアーティストでもないってこと?

W えーっと……。ま、ただそんなふうに考えたことがなかった、というしかありませんね。

F  じゃあ、きっぱりとデザイナーであると言い切ったヨコヤマサンは?その理由は何でしょう?
それに言うまでもなく、アーティストやデザイナーは職名、あるいは肩書きだけれど、このことと関係があるのかしら?

Y 理由には、キーワードが3つあります。1つは「クライアント」。2つめは「解決」、そして3つ目は「姿勢」です。
建築にしろプロダクトにしろ、ボクの場合必ずクライアントがいるのが原則です。まあ、たまには自発的にデザインすることもありますが。つまり要請がまずあって、それに応えるという形で始まるのです。それでも職業としての意識はあんまりないですね。

F クライアントがいて初めて取り組むのに、それが職業とは思わないというのはどういうことなのか……?

W あ、クライアントの有無という視点では、僕はデザイナーです。そして、やっぱり職業でもあるということですかね……。

F クライアントという時、それは自分以外の誰かですか。それとも、自分のことも含むのかしら。

Y 当然、自分のことも含みます。だから必ずしも職業でなければならないとは思わないわけです。職業というのは経済的な対価を含むのが普通でしょう。肩書きと言うのなら、それはまた少し違ってくるけれど。

W 僕も、ヨコヤマサンと同じです。あんまり、お金にならないし……(笑)。

Y・F (あれっ)。

F いずれにせよ、要請があってから、考えるということは二人とも同じようです。

Y ま、あんまり働きたくないという理由もあるけどね(笑)。その前に、ちょっと付け加えると、職業とは考えないということなのですが……。少しばかり大げさのようで憚られるのですが、デザインするということは、「職業」というよりは先ほど3つ目のキーワードとしてあげた「姿勢」、というかいわば生き方に関わることだと思うのです。
ところで、2つめの「解決」ですが、ある事に対して問題を見つけてそれについての解決を提示するのがデザイナーの仕事で、解答がないもしくは回答があるのがアーティストの仕事ではないか、という気もする。もう少し違う言い方をすると、ソリューションがあるのがデザインで、レゾリューションだけでも許されるのがアーティストだと思います。

F  なるほど、わかった気がする……。
 でも、ヨコ文字のむづかしい言葉を使うよね。そういうところも、やっぱりデザイナー的かも。

Y (む)。

F  あっ、アーティストも変わらない?
ということは、デザイナーは問いとともにこれに対する「解決」が要請されているのに対し、アーティストの場合はむしろ問いかけることこそが重要で、必ずしも「解決」を示さなくとも良い、これに対する自身の立場や決意といったものを示すだけで良い。と、いうようなことなのかしら?

Y 3番目の「姿勢」が、先のレゾリューションに関係するかもしれないですね。本来、死に様でしょうが、生き様などと最近は言うようでその人自身の生きる姿勢が問われるのがアーティストではないでしょうか。
それで、ちょっと思い出したけど、コルビュジエは職業を聞かれると、アーキテクトでもなくデザイナーでもなく画家でもなく、ただ「ル・コルビュジエ」と答えたそうだけれどね。僕などは、アーティストなどとおこがましくて決して言えませんよ。尊敬する倉俣史朗さんなんかはアーティストと言えるかもしれませんね。

W 今のヨコヤマサンの言い方にはアートの方が偉いという意識があるような気がするな、……。                              でも、コルビュジエはすごいですね。

Y というか……、どっちが偉いとか偉くないという気持ちはもちろんないよ。それでも、その2つを分ける何かがある気がするんだよね。

W うーむ……。ところで、質問には、「アート」は「独りよがりだ」という軽蔑が読み取れなくもないですよね。
一方、「ただ自分の内面や意思を表現した作品」にも、誰かに共感してもらいたいという姿勢があるのではないでしょうか。アートには前に向きに他者と関わろうという意思がそもそもあるのでは。

F  なるほどね。でもね、それを言うならむしろ逆のような気がするけどね。

W  と言うと?

F 先のクライアントの話のように、依頼があって、その要望に応えようというのがデザイナーであるのに対し、一方アーティストというのは、あくまでも自身が表現したいことを表現しようとするのでは?極端にいうなら、アーティストには他者がいらない。いや自身以外の全てが表現を伝えたい相手なのかも。
でも、自分で言っておきながら何ですが、フェルメールなどの近代以降の芸術家には当てはまるかもしれないけれど、それ以前の芸術家はどうだろう?たいてい、注文を受けてから始まりますよね。絵が壁を離れてキャンバスに描かれるようになったのはルネサンス以降だという話を聞いたこともあるけどね。つまり、絵画が特権階級から大衆化した、ということですね。ついでにいえば、さらにこれを進めたのが、日本の浮世絵だとも。

W ……。

Y とすれば、両者の間には本質的な差はないとも言えますね。ところで、フジモトサンは、自身をどう規定します?

F えっ。ボクは、言うまでもなく、そして残念ながらどちらでもありえないけれど、気持ちの上ではデザイナーでもありたいし、アーティストでもありたいと願うことがある。しかし、もっと正直に言うなら、デザイナーのほうに憧れる気持ちがより強い気がする。ちょっと恥ずかしいけれど……。その理由は、誰かに分かってほしいという気持ちが少なからずあるから。そして、誰かと共有したいという気持ちが強いのです。数は少なくていいのだけれど。だからこうして、noteや自身のHPにせっせと書いている。
話を元に戻すと、デザイナーとアーティスト、その二つはあくまでも便宜的な分け方で、案外作者の心の持ち方ひとつかもしれないという気がするね。そう言えば、ヨコヤマサンは、かつて同じようなことを聞いたときに、「どちらでもあります」って言ったことがあった。

Y 別の言い方をすれば、同じ作者でも、誰に向かって発信しようとしたか、何を伝えようとしたのかがその二つを分けるのかもしれないですね。

F ま、正と反に分けて考えるのはわかりやすくする効用もあるけれど、実際には白か黒ではないグレーの部分が常に含まれることを忘れてはいけないということかね。さっきも言ったように、同じ人間の中にも相反する2つが含まれることはままあるしね。

Y・W  やっぱり、いかにもセンセイ、教師らしい言い方ですよねえ。 

F  なんだか、また分が悪くなってきた気がしてきた……。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?