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雨の日の羨望_木村彩子_11

 しかし、次第に兄はわたしに強く当たるようになっていった。
 ある日わたしがインターホンを鳴らすと、不機嫌な顔で出てきて、「なんで頼んでもないのに何度も来るんだ」と悪態を吐いた。その日を境に兄は人が変わったようにキレやすくなった。
 事故当時恵さんが運ばれた病院で医療ミスがあったんじゃないか、本当は恵の命は助かるはずだったんじゃないかと、病院に殴り込みに行こうとしたこともあった。そのときはわたしがなんとか引き留めた。医療ミスなんかじゃない、恵さんはほとんど即死だったんだから。

 元気になったように見えた瞬間があっても、兄はまだ恵さんの死を受け止められていなかった。どこにぶつけていいかわからない怒りを、わたしに向けるようになっていった。
 ある日ついに、兄の言動に限界を迎えたわたしと兄は言い合いになってしまった。その日も兄はかなり機嫌が悪かった。
『なんで俺だけこんな目にあわないといけないんだ。俺が何か悪いことしたか?今まで必死に頑張ってきたのに』
 頭を抱えて兄が言った。
『兄さんは何も悪くないよ。仕方なかったんだよ』
 わたしは何度も繰り返し兄にかけたその言葉を、半ば溜息を吐くような気持ちで言う。
 わたしの言葉なんて届いていない。結局兄が自分から立ち直ろうとしない限り、こちら側にできることは無いに等しいのだ。
『恵だって勝手に一人で…約束したのに』
『恵さんも悪くないの。…ねえ、気持ちはわかるけど、後悔したって起きてしまったことは変わらないの。つらいかもしれないけどもうちゃんと受け止めて前に進もうよ。恵さんもきっと兄さんのこと心配してるよ』
 わたしが慰める気持ちでそう言うと、
『おまえはいいよな!恋人すらいないもんな!俺の気持ちなんかわかるはずないよな!いつまでも引きずってる俺がさぞ哀れで滑稽なんだろうよ。ていうか前から思ってたけどその偽善者みたいなおせっかいクソ腹立つんだよ。いい加減俺の気持ちに土足で踏み込んでくるのやめろよ!』
 兄はわたしがポストから取ってきた郵便物を思い切り床に叩きつけて大声で怒鳴った。

 わたしは驚いて目を見開いた。
 その一瞬後、ものすごい怒りの感情に襲われた。わたしには、兄の家に通うようになった頃、拓海という恋人がいた。兄の様子が心配で、休みの日の大半は兄と過ごすようにしていたわたしは、恋人との時間なんて作っていられなかった。
 はじめは理解してくれていた拓海もだんだん不満を漏らすようになり、それを面倒に思ったわたしも冷たい態度をとるようになった。ギスギスした空気が続き、とうとう拓海は春に同じ会社へ入社した年下の可愛い女の子と関係を持ち、わたし達は結局別れることになった。そんなことも知らないくせに。
『なによ。わたしの気持ちだってなんにもわかってないくせに!そんな風に言われなきゃいけないならもう来ない。じゃあね』
 わたしはそう吐き捨てて持ってきたカバンを掴み、兄の部屋から逃げるようにして出て行った。一人になると、虚しくなって堪えきれず、泣きながら帰った。

#小説 #雨の日の羨望 #喧嘩

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