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「いままでにあっためちゃくちゃありがたかったこと」の話

たこぎつねです。

寒波到来でめっちゃ寒いですが、皆さん大丈夫ですか。
わたしは大丈夫ではないですが、なんとかエアコンさんの機嫌をとりながら生きています。

さて、今回のお話は、わたしの推しVTuberの星森ちいさんが現在(1/26時点)で募集しているマシュマロのお題「いままでにあっためちゃくちゃいいこと&めちゃくちゃ悪いこと」です。
いいことを福、悪いことを鬼として節分の豆まきをする企画でしょうか。
楽しそうです。

わたしはマシュマロが苦手なので使わないのですが、出す出さないはともかく「いままでにあっためちゃくちゃいいこと&めちゃくちゃ悪いこと」というのは人生を振り返る良いきっかけです。

なので午後は仕事をしながら、少し間が空くとこのことを考えていました。

で結論としては、わたしのいままでに「めちゃくちゃいいこと&めちゃくちゃ悪いこと」はない。なかったですねえ。
驚きの白さ。平坦そのもの、実にフラット。
もちろん、いろんな喜びや悲しみはありましたけれども。
ケガをして二度と曲がらない指などもありますけれども。
それでも、めちゃくちゃ良かったか? めちゃくちゃ悪かったか?
そう自問自答すると、いやそこまででもないな? という思いが強いです。
これは歳のせいもあるかもしれません。
良いことも悪いことも、すべては記憶の引き出しの中にしまいこまれていきます。
その出来事が起こった時の感情を覚えてはいても、その時の感情のままに思い出せるわけではありません。
ちいさんに出会えたこと? それは正直なところ良し悪しの判断を超えています。めちゃくちゃ心と頭が揺さぶられ続けていて、そういう評価はできない状態です。

ちいさんのことはともかく、われながら、おかげさまでおだやかな数十年を歩いてきたものです。
正直、傍目にはおもしろみのかける人生でしょう。波乱万丈とはお世辞にも言えない。とはいえ、傍目をおもしろがらせるために生きてるわけでもないし、その義理もないので、わたしとしてはありがたいことです。
そう、今回のタイトルである「ありがたいこと」のひとつが、わたしがわたしとして生きてこれたこの数十年自体ですね。
そう生きてこれたのは、わたしが努力したからではなく、わたしの周りの方々がそのように助けてくださったからです。
恩を感じている相手には、折りに触れて感謝を伝えるようにしています。
もちろん感謝の伝え方は「ありがとう」だけじゃありません。
念仏のように「ありがとう」と唱えていてはこわいだけです。

恩を感じていても感謝が伝えられない相手もいます。
たとえば亡父。
鬼籍に入ったひとへの感謝は伝わっているのか、いないのか。
伝わっていてほしいとは思いますが確める術はありません。
もちろん生きているうちに感謝は伝えていましたが、年を重ねて今にして気づく恩と言うのもたくさんあって、実家の仏壇に手を合わせては涙が出そうになります。
そんな時は母親と亡き父の話をすることが何より供養なのかもしれません。

そして見ず知らずの恩人たち。
「いままでにめちゃくちゃありがたかったこと」と考えて思い出すのは、どこのどなたかは分からないけれども、見ず知らずの自分に親切にしてくださって、窮地を救ってくださったかたがたのことです。
急に体調が悪くなり、電車の中でうずくまってしまったわたしに席をゆずってくださった女性。
落としたマフラーを数十メートルちかく走って届けてくださった男性。
会社説明会で初めて着るリクルートスーツ、しつけ糸がついたままだったのに気づいてハサミを貸してくださった女性。
そうしたかたがたの面影さえ覚えていませんが、どこかで幸せに暮らしておられることを思い出すごとに祈っています。

ひょっとしたら、わたし自身も過去にしてきた何かのために、誰か見知らぬ人に幸せを祈られているかもしれません。
お互いに相手の幸せをぼんやりと祈りながら明日も生きてまいりましょう。

以上、たこぎつねでした。
それではまた。

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