【コラム】 私刑の時代

2024年は私刑の時代を感じさせる始まりであった。

ダウンタウンの松本人志や、サッカー日本代表FW伊東純也のニュースは皆の記憶に新しいところだと思う。
週刊誌の暴露によって有名人の人生が180°変わる瞬間を日本人は何度も目撃してきた。


キャンセルカルチャー

こういった暴露や告発によって有名人の立場を揺るがす文化は、欧米ではキャンセルカルチャーと呼ばれている。
文字通り、有名人の立場を”キャンセル”する文化という意味だ。

賛否

キャンセルカルチャーの正当性に関して、世界中で賛否が分かれている。
キャンセルカルチャーは私刑の一種だから良くないし司法に則って裁かれるべき、という意見もあれば、司法で裁けない悪に対しての最終手段として有効であるという意見もある。

もちろん、キャンセルする側が客観的な証拠をどれだけ用意していて主張に正当性があるかどうかも個々のケースによって違ってくるだろう。 

法人・団体の立ち回り

(画像.天秤を掲げる正義の女神)

このキャンセルカルチャー時代において、法人や団体としての正しい対応は何なのだろうか?

これに関して、世界中の企業や団体が自信を持った結論を未だ出せていない様に見える。

松本人志の件に関して言えば、週刊文春の記事に対して吉本興業はすぐさま「事実無根」と否定。
真っ向から対立する姿勢をとったが、日本国民から多くの批判を浴びた。

サッカー日本代表の伊東純也選手の件に関して言えば、日本サッカー協会はすぐさま伊東選手を日本代表から離脱させた。
これは週刊誌の主張を一旦受け入れたと言われても仕方のない対応である。
この件もまた、”疑わしきを罰した”として日本サッカー協会は多くの批判を浴びた。


法律的な見地


松本氏の件と伊東選手の件は、このコラムの執筆時にはどちらも検察に起訴されるには至っておらず、法律的には有罪とは断定できない状態である。


悪魔の選択肢

法律的な結論が出ていない段階で、キャンセルする側(告発者)と対立するのか、同調するのか。

そのどちらの対応を選択したとしても、多くの批判を浴びた事例が存在することになる。
しかも、どちらも今年の出来事なのだ。
多様性の時代において、ほぼ全員から賛同される対応というものを諦める必要性すら感じられる。

有名人と絡む法人や団体は、”悪魔の選択肢”をいつ突きつけられるかわからないリスクに直面しているのだ。

これはe-sports業界も例外ではない。
いつ自チームの選手がキャンセルされてもおかしくない。


国民アンケート

先ほど、悪魔の選択肢に対して、大多数の賛同を得られる回答は不可能なのかも知れないと書いた。
しかし、大多数の納得を得られる回答は可能だとKWZは考えている。

キャンセルカルチャーへの対応に結論がでないのは、裁くのが世論であるからだ。
世論というものは曖昧なもので、時代や世相、その人の持っていた好感度などによって左右されてしまう。

しかし、人類が長い歴史の中で生み出した司法というものは、

“結論を国民アンケートで決めることはない”

検察、弁護人、被告人、証人の話を元に、複数の裁判官が裁きを下す。
大量の素人である国民ではなく、少数の法律家の結論で裁く。
これが人類が長い歴史の中で作り上げて来たもの、数千年かけて出した結論であったはずだ。
法律的な結論を出すまでの過程に世論は関係ないのだ。

ある意味、キャンセルカルチャーは人類を退化を示しているのかも知れない。


リトマス紙

筆者の友人が、キャンセルカルチャーは一種のリトマス紙的な側面があると言っていた。

松本人志の件も、伊東純也の件も、学歴があったり文化人と呼ばれる人ほど叩いている人が少ない。
それがリトマス紙の様だ、と彼は言った。
賢者ほど法律の基礎を知っているから、疑わしきを罰することはないのだ。


KWZの回答

このキャンセルカルチャーの時代において、大多数の賛同がえられる結論は恐らくないと先程書いた。
それ程までに難題であるのは事実だろう。

新進気鋭のe-sportsプロチームである
inonakano【KWZ】はこの問題に対してこう考えている。

キャンセルカルチャーに対するKWZの回答。
・疑わしきは罰せず
・司法に任すべき事柄は任せる
・守るべき物を守る

法律の原則である「疑わしきは罰せず」を遵守し、司法に変わってチームが私刑をすることを避け、チームと選手を最大限に守る。

これがKWZの回答である。
世論や告発に流されることなく、人類の歴史が生み出した法律の基礎に立ち返り、チームとしてしっかりと生き残る。

これもまた、キャンセルカルチャーの時代に対する一つの模範回答なのではないだろうか。

であるから、KWZは関係者に関する告発が届いたとしても、警察や裁判所に届けるべき事象に必要以上に介入することはない。

もちろん選手スタッフへの素行、コンプライアンスの指導はきちんと行うが、自分達の法律的権限の範疇を逸脱しないのだ。

独自のブレない基準を持つKWZ代表の理念は、
キャンセルカルチャーへの結論を出せない大人が多くいるこの時代において、筆者には輝いて見えた。

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