猫の僕らが紡ぐ、おっとり父さんとあわてんぼう母さんの話 8
♡とうさんはインド人♡
今日は僕ゆきの番です。よろしくね(=^・^=)。
僕らのとうさんはとても不思議な人。前かあさんの同僚の人が、「つかみどころのない人」と言っていたけど、そんな感じ。
とても優しくて、めったに怒らないし、常に淡々としている。いちいちつまらないことに大騒ぎをしたりしない。これって、クールって言いうの?
でもかあさんと付き合い始めの頃は、いつもにこにこしていたらしいよ。今は普通の顔してるけどね。
かあさんはとうさんと10年以上結婚生活を送ってきて、少しずつとうさんを理解してきた。そしてわかった。とうさんは深くて、広くて、頑固で、何よりも自由を愛する人なんだってこと。
とうさんは少し普通の日本人とは違ってる。帰国子女ってやつみたいで、それも欧米かよ!じゃなくて、なんと!とうさんはインドで生まれた。とうさんの両親の仕事の都合だよ。インド!悠久の国。ヨガ発祥の国。流れゆくガンジス川。大勢の人、紛争、インドの神々・・・。
かあさんが、ぽつりぽつりとしか話さないとうさんから、今まで聞き出せたことはあんまり多くないけど、インドでは、色の白いとうさんたち姉弟(とうさんには二人お姉さんがいる)はとても珍しいから、そのへんを歩いているとよくほっぺたをつねられたらしい。いじわるじゃなくて、みんな不思議だったんだね。とうさんたちは泣いて帰ったらしいけどね。結構痛かったらしい。
インドでは家族友人をとても大切にする。なにかあると、みんなで集まってパーティなんだって。それも大家族だから、20人くらい当たり前に集まって、誰かのバースディだったりするとケーキが5個くらい並ぶんだって。
インドの学校は、今はわからないけど、半日しかなくて、体育も美術も音楽もなくて、そういう教育は親がどこかの先生のところで身につけさせるものだったらしい。日本のピアノとかさ、あれとおんなじだね。
それと、バスは時間通りになんて絶対に来ない。待っても待っても来ない。朝から晩まで待っても来なくて、次の日にやっと来た、なんていうのも珍しくないんだって。
インドの家族の中の良さは、特にとうさん達は日本人だったから、結束は特別に強くて、結婚してしばらくして、とうさんがかあさんに、「どうして(かあさんの)兄さんたちは電話してこないの?妹のこと心配じゃないの?旦那さんに殴られたりしていないか確認しないの?」と聞いた。
かあさんはたまげた。うちの兄たちが?私を心配して?電話をしてくる?ないないない、と思った。
それくらいとうさんととうさんのかあさん(おばあちゃんだね)と、とうさんのお姉さん(伯母さんとは言いにくいなあ)は仲が良くて、今でもしょっちゅう電話している。歩いて5分くらいのところに住んでいるけどね。
この仲の良さが最初かあさんには理解しがたくて、ちょっともめたりもしたらしい。
インドでは、知らない人はすぐに騙したり、何かを盗んだりするらしい。だから、家族の結束や友人関係はとても大事で、どこかへ行くのにタクシーなんか使うと料金をぼったくられて、1時間もねちねち粘られるから、なるべく知っている人に頼んでその人の車で行くんだって。
とうさんが日本に帰ってきたのは高校生の時。ほんとは2年に編入だったんだけど、あまりに日本語がつたないので(漢字が読めなかったので)1年に編入されたらしい。そして、クラスメイトが体育の授業のとき、とうさんは国語の特別授業で、自分もみんなと一緒に体育のほうがいいのにな、と思ってたらしい。とうさんはスポーツ好きなんだ。
かあさんと付き合い始めの頃は、今でさえそんなに話さないのにもっと話さなくて、かあさんもちょっと困ったらしい。とうさんはさ、恥をかきたくなかったんだね。だって、今でも「早もの勝ち」とか、へんなこと言うよ。本当は「早い者勝ち」なのになあ、とかあさんは何回も直したけど、覚えないのでもう放置している。
でもとうさんはたまにものすごく面白いことを言う。デヴィ夫人のことをデビル夫人と言ったときには、かあさん思わず「うまい!」と言って、拍手した(デヴィ夫人、ごめんなさい)。
とうさんは海辺の町で育ったから、波の音が恋しいといつも言ってた。でも日本に来てからのほうが長くなって、郷愁は少しずつ消えつつある。でもきっと帰りたいんだろうな。だって、故郷だからね。
とうさんはターバンを巻いたりアロハシャツを着てたりはしないけど、やっぱり心のなかは半分インド人かな、ってかあさんは思っている。でなきゃ、年上で、バリバリの男嫌いのかあさんをそのへんの日本人が落とせるはずはずないもんね。
あーあ、眠くなっちゃったよ。じゃあ次はまるの番ね。
おやすみなさい。
ゆき
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