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見たい世界をきちんと夢見る 『本の読める場所を求めて』全文公開(52)

第10章 見たい世界をきちんと夢見る
52 見たい世界をきちんと夢見る

メールマガジン「読書日記/フヅクエラジオ」を2019年1月に始めた。月800円をいただいている。「読書日記」は2016年10月から毎日書いている日記で、『読書の日記』シリーズとしてこれまで2冊の書籍になっている(ともにNUMABOOKS)。「フヅクエラジオ」は購読者の方からのおたよりを紹介したり質問に答えたり、店のスタッフたちがミニコラムを書いたりするテキスト形式のラジオだ。この2本立てで、2~3万字ほどのボリューム。毎週土曜日に配信している。
自分にとってライフワークとなりつつある「日記の執筆」を通じてお金を得たいということが事の始まりだったが、長期的なクラウドファンディングのような性質も持たせていて、「購読者数が1000人になったら(あるいはそれに足るだけの金額が集まったら)次の店舗をつくっていきます」と謳っている。津々浦々、約30都道府県の読者から購読いただいている。まだまだ遠いが、増えたり減ったりするのを見ながら「1000人になるといいなあ」と思って日々いっしょうけんめい揉み手をしている。

もともとフヅクエは、僕個人のプロジェクトでしかなかった。「読書好きの聖地になる」という曖昧な野望を掲げてはいたが、これとて、「まあニッチな店だし、ブルーオーシャン感のある領域だし、読書の店として突き詰めていければ、そういうポジションが狙えるんじゃないかな。もしそうなれば、僕の暮らしくらいはきっと成立するだろう。目指せ生存」というのが正直なところだった。なによりも僕が、本を読んでいる人たちのために仕事をしたかった。僕が、本を読んでいる人たちが寄り集まった光景を見たかった。視点はどこまでも僕だった。
そして実際、じっくりと腰を据えて本を読んでいる人々だけで構成された光景は、ときに、「今のフヅクエは日本で一番いい店なのでは?」と思いたくなるほどに美しいものだった。僕が見たかった光景は、思い描いていた以上に美しいものだった。またそれは、僕だけが感じているのではなく、この場所で過ごした人たちも感じてくれていることのようだった。「こんな店が近くにあったらいいのにな」という声をしきりに聞くようにもなっていった。そんな言葉に触れているうちに、「より多くの本を読む人たちに、この体験を提供したい。彼らが喜びと誇りを持って本を読めるような場所をもっと提供したい。「本の読める店」が初台だけに留まることに合理的な理由は見いだせない」と思うようになっていった。
いま僕は、フヅクエがたくさんある世界を夢想している。フヅクエが、映画館くらい、各都市にあるような世界を夢想している。それぞれの町に、楽しみにしていたあの一冊を思う存分読む時間を過ごしたいと欲望する人たちはいる。全国の読書好きの人たちのもっと近くに、そのために用意された場所がある世界。
第1部の最後でも触れたが、ここでもまた、文化のことを考えている。読書という文化。その盛り上がりや広がりを考えたときに、フヅクエが果たせる役割があるのではないか。
文化というのは考えてみれば、結局は個別の具体的な経験の蓄積でしかない。知る。触れる。楽しむ。また触れる。また楽しむ。
行為の経験を代表して担う大きな主体が存在するわけでは当然なく、個々の、具体的な経験がそれぞれの場所で繰り返され、それが何かを媒介にして人に伝わり、それがやはり個々に、具体的に経験され、また繰り返される、その結果が文化と呼ばれるものになるはずだ。そしてその個々の経験は、いい気分のものとして経験できる機会があればなおいい。挫かれずに成就される機会があればなおいい。そのためにも、「そのことに専念できる場所」があるといい。いろいろな町にあるといい。「本の読める店」をはじめとする「読書の居場所」が、津々浦々にあるといい。

第3部ではそんな世界の到来を夢見て、「こんな動きが出てきたら楽しいなあ」ということを書いていく。
これまで不当に等閑視されてきた「読む」に正しい居場所を与え返そう。「読む」の逆襲を始めよう。


フヅクエ○○

2020年4月にフヅクエ下北沢が開店した。「フヅクエを増やしたいんですよね」と公言し始めた時期に、ひょんなことから声がかかり、やることにした。開店資金は政策金融公庫から借り入れをした。
直営店を増やしていくためには、同じように借り入れをするか、先ほど述べたメールマガジン資金が貯まり次第ということになるだろう。これはこれで順次つくっていけたらと思うが、すべてを自力で賄(まかな)わないといけないということもない。「自分もフヅクエをやりたい」という声を聞くことがしばしばある。自分の町にもフヅクエをつくりたい、と。今は「ぜひ!」くらいしか言えることがないのだが、全国のそんな人たちが、「本の読める店 フヅクエ ○○」と名乗って店をつくっていくことを手伝えるようにしていきたい。フランチャイズ、暖簾(のれん)分け、言い方はいろいろあるだろうし、クリアすべき問題がどんなことなのかも全然わかっていないが、京都の「ホホホ座」のような、ゆるやかな連帯によって全国に広がっていくやり方もあるだろう(詳しくは山下賢二・松本伸哉著『ホホホ座の反省文』をお読みください)。


本の読める店 presented by ○○

フヅクエ下北沢は、下北沢駅と世田谷代田駅の中間、小田急線線路跡地に新たにできた商業施設「BONUS TRACK」の一角にあって、同施設内には「本屋B&B」と「日記屋 月日」もある。歩いてそれぞれ10秒と2秒の距離だ。「書店のすぐそばの「本の読める店」」はやってみたかった試みで、本を買ったときのホクホクとした気持ちのまま、至近に読むための場所があるというのは、読書を楽しむ一日を過ごすのにうってつけで、とてもいい。
もしこれが僕の思うようなものになったら、「書店の近くに構える」というのは、今後の店舗展開において有力な選択肢になるだろう。でもそれは、僕ではなく、書店自身がやるのもいいのではないか。「本の読める店 presented by 丸善ジュンク堂書店」とか。ショップインショップでもすぐ近くの物件でやるのでも、どちらもいいだろう。「ここでたくさん本を買って、あそこにこもって読む」という経験はきっと豊かだ。本をめぐるより充実した経験をさせてくれる書店を、読書好きの人はより愛するだろう。自分の味方の場所だ、という思いをより強くするだろう。ブランド強化にも最適ではないだろうか。
書店に限らず、出版社の取り組みとしてもいいものになるはずだ(新潮社さん、出番ですよ!)。「本の読める店 presented by 新潮社」。新旧の新潮社の本に囲まれた空間で、読書の時間を満喫する。新潮社の本に触れて育ってきた身としては、たまらない体験だ。みんな新潮社の大ファンになるに違いない。もちろん出版取次や印刷会社がやるのだって自然だし、ファッションブランドや不動産会社や飲食料品メーカーなんかがやってもなんらおかしくないだろう。
おしゃれなカフェをつくるだけじゃ全然面白くない。ここはひとつ、ガチンコでいこう。








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