見出し画像

同じ先を向いた足跡

前書き

※サムネイルはみんなのフォトギャラリーより、数井_椎様の写真をお借りしました。

第2回THE NEW COOL NOTER 賞に応募した短編小説です。
以下の注意にご留意の上でご覧くださいませ。

・注意
BL

本文

 地面ばかり見ていることに気付いて、鹿野青磁(かの せいじ)は立ち止まった。
 大きく息を吐き、視線を意識して上げる。
 彼の目の前にあるのは石が転がり、所によっては木の根が張り出している険しい登山道だ。あまり人気のない山域であるせいか、整備されている様子はなく、途中では倒木が放置されていた。
 そんな登山道であっても疲労を感じさせない、しゃんと伸びた背中が前を歩いている。
 青磁は登山用の大型ザックを背負った後ろ姿に声をかけた。
「ちょっと休憩しようぜ」
 青磁が声をかけると、前を歩いていた桐原誠一郎(きりはら せいいちろう)が立ち止まる。
 誠一郎は一度腕時計を見てから、ゆっくりと振り返った。すらりと鼻筋の通った精悍な顔に疲労の色はやはりない。
「飛ばし過ぎたか?」
 誠一郎は落ち着いた低い声で青磁に問うた。その声音は学生時代のバイトで知り合った頃よりも静かだった。
「ちょっとな。鈍ってるわ、オレ」
 ふっ、と誠一郎は破顔し、青磁から目を離すと薄曇りの空を見上げた。
 つられて青磁も同じように景色へ目を向ける。冬の気弱な陽光が降り注ぐ山並みは、微睡むような長閑さだ。
 今まで歩いてきた登山道を振り返れば、誰の姿もない。一時間ほど前には登山客で混雑していた山域にいたとは思えない静けさであった。
 微かに湿った地面には青磁と誠一郎の足跡だけがある。
「逃げてきたみたいだな……」
 青磁は我知らず言葉にしていた。
「誰から?」
 何から、と誠一郎は問わなかった。
 青磁は少し考えてから答えようとしたが、何も思い浮かばない。
 そのことを誤魔化し、青磁はザックのサイドポケットから水筒を取り出して中身を一口飲んだ。冷たい水が喉を通り過ぎていく感触で少しは脳が冴えて、それらしい答えが思い浮かぶかと思ったが、そうでもない。
「誰なんだろうな?」
 彼の言葉に誠一郎は、また笑う。今日はよく笑うな、と青磁は胸の裡で思ったが、今度こそ口にはしなかった。
 言葉の代わりに水筒を差し出す。誠一郎は受け取り、口をつける。その仕草に思春期の少年のように青磁の心臓が音を立てた。口元から視線を喉元へ逃がすが、白っぽい喉にかえってどぎまぎする。
 目のやり場に困った青磁は、水筒を持つ誠一郎の手の辺りをじっと見つめた。
「あれ、指輪は?」
 記憶と現実の違いに青磁は声を上げる。
 彼と再会したカフェでの記憶を脳内で吟味してみも、やはり指輪をしていた。一見するとシンプルな指輪だった。しかし、光の加減で細かな彫刻が浮くような、そんな凝ったものだったと青磁は記憶している。
「よく覚えてるな」
 誠一郎は少し驚いた顔をする。
「接客やってりゃ、嫌でもそうなるぜ」
「そんなものか」
「客の顔だけじゃなくて好みとか色々と覚えるからな。習い性みたいなもんさ」
「俺のことも覚えたのか?」
「ブレンドをブラック、ハムレタスサンド、スーツはダーク系が多い。一人客。来店するのは十四時前後。滞在は三十分以内。煙草は吸わない。座るのはカウンターの隅か壁を背にしたソファ席」
 青磁は指折り数え、すらすらと答える。誠一郎は驚いた顔をして、彼が一つひとつ折っていく指を見ていた。
「そんなに、よく覚えているな。バイトの頃からそうだったのか?」
「あとは、そうだな。バイトの子に知り合いなら紹介してくれって言われたぐらいか」
 不意に誠一郎が顔をしかめた。
「そういうの、鬱陶しいな」
「そんなもんか」
「独身でいてもいいだろう」
「じゃあ、あの指輪って女除けみたいなもんか」
「女除けというか、小煩い連中除けだ」
 憮然とした声で誠一郎は続ける。
「結婚しろだの、女を紹介してやるだの、煩くてかなわない」
 うんざりした様子の彼を見て、青磁は金も地位もあって頭も顔も良いと、それなりの苦労があるのだなと暢気に思った。そして、その暢気な気持ちのままに言葉が口から出て行く。
「それだけのための指輪ってのも、もったいないな」
「そうか?」
「デザインも凝ってたしな。結構高いんだろ?」
「デザインは、べつに……、経費も、それほどでもない」
 妙に歯切れの悪い誠一郎の口ぶりに、今度は青磁が眉根に皴を寄せる。
「なんだよ、経費って」
「俺が作ったんだ、あの指輪」
「マジかよ。スゲーな」
「趣味みたいなもだ。大したものじゃない」
 目を丸くして青磁が驚いていると、誠一郎は照れくさそうに口元を緩めた。その表情はなにやら幼く見える。
 バイトの同僚だった頃は、一足先に学生の持つ甘さを捨てたような、そんな落ち着きが目立っていた。その時には知らなかった表情を見ているのだと、青磁は自分の口元まで緩むのを感じる。
「オレ、植物のデザインって結構好きなんだよ。あの指輪もそうだったろ?」
「本当によく見てるな」
「なんだよ、お前。そんな趣味あるなら言えよ」
「なんでだ」
 苦笑する誠一郎に、青磁はぽろりと本音を零した。
「お前の作った指輪が欲しい」
「……」
 ぽかんと誠一郎は口を開ける。
 本当によく表情が変わるな、と青磁はまた嬉しくなってきた。こんなふうに彼の顔をころころ変えられるのが自分だけだったらと、そんなに他愛もないことを思ってしまう。同時にもっと長く時間を共有できていたらと、愚にもつかない後悔が胸中を掠めた。
「サイズが分からないとな」
 そう言って誠一郎は、青磁の左手を取った。それから薬指の付け根を指先でなぞる。
「オレにくれんの?」
「時間は貰うけどな。趣味なんだから、文句を言うなよ」
「言わねえ。待ってる」
 青磁は誠一郎の手を握った。拒絶されるかもしれないと、心の奥では怯えていたが、彼の手は案外震えもせず、しっかりと誠一郎を捕まえている。
「なあ、誠一郎」
 初めて、彼のことを名前で青磁は呼んだ。緊張していたらしく、声が少し裏返っていた。
「うん?」
 返事をした声はどこか笑みの気配を滲ませている。
「オレ、いつか独立して自分の店を持とうと思ってるんだ」
「そうなのか」
「おう。だから、オレの店にお前の作ったアクセサリー置かせてくれよ」
 真っすぐに青磁は誠一郎の瞳を見つめる。
 先に視線を逸らしたのは誠一郎の方だった。彼はそのまま手を放し、青磁に背中を向けてしまう。
 その背中に向かって青磁は語りかける。
「お前も面倒臭いこととかあって、嫌になったらオレの店に逃げて来いよ」
「考えておく」
「オレも一緒に逃げてやるからさ」
 青磁は顔を背けたままいる誠一郎の隣へ並ぶ。
 二人の前には山道が続いていた。舗装などされていない道だ。
「駆け落ちにでも誘われている気分だ」
「案外ロマンチストだよな、誠一郎って」
「俺はリアリストだよ」
「へえー、知らなかったぜ」
 青磁はうそぶく。
 一歩を先に踏み出して青磁は続ける。
「到着したら、ゆっくりコーヒーを飲もうぜ」
「お前が淹れてくれるんだろ? プロなんだしな」
 追いついてきた誠一郎に肩を叩かれ、青磁は頷いた。
「もちろん。それから誠一郎の話も聞かせてくれよ、離れてた時間の分だけさ」
 二人は並んで歩いていく。
 石が転がり、木の根が張り出した険しい道を。
 歩いた分だけ、二人の足跡が残る。
 重なり、離れ、そして寄り添うように。


  了

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?